日本映画学会会報第21号(2010年2月号)
●学会誌『映画研究』第4号の編集を終えて
杉野健太郎(信州大学人文学部准教授)
日本映画学会学会誌『映画研究』編集委員会のまとめ役を務めさせていただいている杉野と申します。毎回くりかえして申し訳ありませんが、レフェリー制学術誌である『映画研究』の審査は、審査の公平性、ならびに映画研究という学問の発展・成熟に寄与できる執筆者の涵養、という二つのシンプルな理念に則って行っています。投稿規程に記されております通り、審査の公平性を保証するために、匿名審査を行っております。編集委員は、学会誌が実際に刊行されて初めて、論文の執筆者名を知ることとあいなります。また、その公平性を徹底するために、主指導教員など、被審査論文と深い関わりがある者がその審査を行なうことがないように方策を施しております。また、第二の理念、映画研究の発展・成熟に寄与できる執筆者の涵養の一助として、編集委員会は審査結果に審査員のコメントを付しております。
次に、第4号の具体的審査についてです。本号には9編の投稿があり、5編が掲載とあいなりました。掲載論文からもうかがえますが、今号の投稿論文の特徴は、日本版DVDが発行されていない外国映画に関する論文が多かったことです。審査手続きは、過去の3号と同じく、一定の期間を経て編集委員がそれぞれの査読結果を持ち寄り、最後に一定の合議期間を置いて討議し、採否に関しては必ず投票の上で、全投稿論文の審査結果を慎重に作成いたしております。査読結果において採否が割れた論文に関しては、合議期間においてさらに慎重に討議し投票の上採否を決定します。同じメンバーで審査を行ってこれで4号になりますが、論文の大枠の評価に関しては審査員によって大きな違いがないことには毎回驚きの念を禁じえません。
さて、最終的に5編が掲載となりましたが、過去の反省から、今回は、初めて正式に再審査を行いました。やや完成度が足りないものの修正をほどこせば数段良くなると判断された論文があったからです。今後も、そのような場合には、再審査を実施していくことが好ましいのではと考えております。
ことあるごとに申し上げておりますが、日本映画学会学会誌『映画研究』は、本学会および日本における映画研究とともに発展していきたいと願っております。今回は、賞の選考まで含めると、審査が始まってから終わるまでに3ヵ月以上かかっております。艱難に満ちたとまでは言えないにしても、しんどい作業でした。編集委員のみなさまもご苦労さまでした。ただ、それと同時に、その労苦にふさわしい学会誌になってきたという充実感もありました。映画を丹念に見た上で論文と対話しながら多くのことを学ばせていただいたというのが編集委員会一同の偽らざる感想です。いずれにせよ、これらの論文から多くを学びそれを乗り越える研究者が次々に登場するという輝かしい未来を祈念しながら、次号にも数多くの投稿を心よりお待ち申し上げております。
●第2回(2009年度)日本映画学会賞の選考経過について
杉野健太郎(信州大学人文学部准教授)
日本映画学会賞の選考を常任理事会から委嘱された編集委員会を代表して、第2回(2009年度)日本映画学会賞の選考の経過をお知らせ申し上げます。日本映画学会賞とは、学会誌『映画研究』投稿論文のなかで「傑出した学問的成果を示した論文」に与えられる賞です。投稿論文と書きましたが、具体的には『映画研究』に掲載が決定した論文を選考対象といたしております。
前回と同じく、今回も、予め決めておいた二つのプロセスによって選考を行いました。第一のプロセスは、最優秀論文を選ぶプロセスです。第二のプロセスはその最優秀論文が日本映画学会賞にふさわしいかどうかの決定です。両プロセスとも、審議を経た上での投票が具体的手続き内容です。もちろん、日本映画学会学会誌『映画研究』と同様に匿名審査ですので、各論文の執筆者は伏せられたまま、論文タイトルによって選考されます。
このプロセスに則り、まず、掲載論文の学問的成果に関してさらに審議した後にポイント制の投票によって最優秀論文を決定しました。最優秀論文は、最初の査読の段階から評価が高かった「トーキー時代の弁士 ― 外国映画の日本語字幕あるいは「日本版」生成をめぐる考察」(以下、「トーキー時代の弁士」と略記)が最高得点を得て選ばれました。第二のプロセス、その最優秀論文が日本映画学会賞にふさわしいかどうかの決定に関して申し上げれば、同論文は投票の結果満票で日本映画学会賞に選出されました。
弁士は、トーキー登場後の1930年代に映画館から姿を消していったというのが定説でした。いわば、「トーキー時代の弁士」は、この定説を覆したとまでは言えないかもしれませんが、その消え方を丹念にたどった論文と概括できるでしょう。同論文は、日本の1930年代のトーキー移行期の資料を丁寧に渉猟し丹念に解読することによって、「日本版」という言葉の意味の変遷を手がかりとして、外国から入ってきたトーキーが日本でどのように受容されたのか、その結果、弁士の役割がどう変質したのかを考察し、これまで知られていなかった歴史の一端を明らかにしており、優れて質が高いと同時に密度が濃い労作です。外国映画の生成と弁士の活動とを連動させて読み解く手腕は見事であり、独自の綿密な調査に基づいた実証的方法によってトーキー移行期という研究の空白地帯を切り拓いた点は高く評価でき、今後の弁士研究の必読文献となるでしょう。『映画研究』第4号に掲載された論文はいずれ劣らぬ力量を感じさせるものですが、独自の手法を用いて、かつ実証的に同論文が新たに切り開いた地平の大きさは賞賛に値します。これが受賞に至った理由です。
さて、もとより、本学会の多岐かつ多言語にわたる研究領域の論文の成果を判断することには困難がつきまとい期間等にも限りがあるなど様々な制約がございますが、編集委員会といたしましては、全力を尽くして、また何より公平かつ公正に、選考をいたしていく所存です。したがって、学会誌掲載のみならず本賞を目指して投稿されることを期待いたしております。
●視点 映画紹介『団旗の下に』(大須賀康之・根来和宏監督、ゆふいん文化・記録映画祭後、編集した2009年度版)
大石和久(北海学園大学人文学部准教授)
『団旗の下に』は、本学会の理事・藤田修平先生の指導の下、藤田先生のゼミ生、大須賀康之・根来和宏両氏が2007年に監督したドキュメンタリー映画であり、2009年度の「ゆふいん文化・記録映画祭」で松川賞準大賞を受賞している。本映画の題材は明治大学附属中学校・高校の応援団。大須賀・根来両監督はこの応援団を一年にわたって、入団したての中学一年生を中心に追いかけた。
映画史の最初期、リュミエールのホームムーヴィーにもすでに演出が存在していたように、あるいはメリエスの特撮映画が同時にニュース性をもっていたように、ドキュメンタリー映画とフィクション映画の間にそれらを明確に切り分ける線を引くことなどできず、それらは相互浸透しているだろう。『団旗の下に』も「あたかもフィクション映画を観ているような印象を与えるドキュメンタリー映画」である(『団旗の下に』のパンフレットより)。大須賀・根来両監督は、現実の応援団の中に映画的ドラマが詰まってるのを見逃すことがなかった。ある中学一年生が応援団の絶対的上下関係の中で、理不尽なまでの先輩への服従を強いられたとき生まれるドラマ。その現実のドラマを両監督の彼ら独自の視線を通してすくい上げる。その視線にこの映画の「演出」は宿り、その「演出」がこの映画を単なる記録以上のものへと高めている。たとえば、その視線は応援団の少年たちの顔に向かうだろう。「魂の叫び」を張り上げるときに輪郭が歪む、団員たちの顔。その表現主義的な生き生きとした表情――極度に真剣なだけにユーモラスでさえもある――を二人の監督は逃さず捉える。『団旗の下に』は二人の監督の視線による選択、その意味における「演出」によって、見事な「顔」の映画となり得ている。また、この視線の主たちは決して透明ではなく、素早いズームや、人物へ質問する声によって、または鏡に映るという仕方で再帰的に示されていることを付け加えておこう。
どんなドキュメンタリー映画もフィクション映画的側面をもつならば、この映画を曽根中正が監督したフィクション映画の傑作『嗚呼!!花の応援団』三部作(1976-77)の正統な後継者とみなすことも可能だろう。『嗚呼!!花の応援団』でも、応援団に入った新入生の視点から、絶対的上下関係における先輩への服従の理不尽さが描かれている。ただし、この映画では応援団員――特に親衛隊長・青田赤道――のハチャメチャな行動を見せることを通して、その理不尽さは笑いの中で肯定される。この笑いによる理不尽なるものの肯定が『嗚呼!!花の応援団』シリーズを貫く特長であったが、『団旗の下に』は結局はこの理不尽さを肯定するには至らないだろう。この映画の中の少年はその理不尽さに耐えられず、退団するのである。『嗚呼!!花の応援団』の新入生は絶対服従の理不尽を応援団内部で肯定するだろう(曽根中正の空間には出口はない)。そうして彼らは応援団に包摂され、自らの居場所を見出す。『団旗の下に』の応援団員の姿もまた既に述べたようにユーモラスで笑いを誘うものであるが、この映画はもはやその理不尽さを肯定しはしない。現代においては、おそらく応援団という理不尽な社会はもはや新入生を包摂できないのである。『団旗の下に』の少年はもはや居場所をもたないnowheremanである。『嗚呼!!花の応援団』と『団旗の下に』の間には時代的な隔絶があるのだろう。ゼロ年代の監督として大須賀・根来両監督は包摂性を失いつつある社会を写し取ることで、アクチュアルな問題をわれわれに投げかけている。
現在的問題を提起する、「顔」の映画を創り上げた大須賀康之・根来和宏両監督の今後のさらなる活躍を期待したい。
追記:『団旗の下に』は3月22日(月)座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルで上映されます。詳細については以下のHPをご参照ください。
http://www.venus.dti.ne.jp/~djdj/TheKouenji/index.html
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- 村田光男(大阪市立大学大学院創造都市研究科都市ビジネス専攻アントレプレナーシップ研究分野修士課程/広告代理店株式会社メ ディアート広告事業本部部長)映画産業論
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