日本映画学会会報第2号(2006年4月号)
●日本映画学会会員のみなさまへのお知らせ
- きたる2006年12月2日(土曜日)に大阪大学にて第2回全国大会が開催されますが、大会で個人口頭研究発表(25分発表+10分質疑応答)を御希望の方は本年9月10日までに500字程度の発表概要と仮題をお書きの上、学会事務局(cinema<atmark>art.mbox.media.kyoto-u.ac.jp [<atmark>に@を代入])までお申し込み下さい。そのさい件名は「個人口頭研究発表」とお書き下さい。
●書評
スティーヴ・ブランドフォードほか著『フィルム・スタディーズ事典』杉野健太郎/中村裕英監訳(フィルムアート社、2004年)
大澤 浄(京都造形芸術大学非常勤講師)
本書はある種の“読みにくさ”を伴った、研究者必携の映画学事典である。読みにくいというのは、たとえば次のような一文によくあらわれている。「コンピュータが産み出す映像がライヴ・アクションのフィーチャー映画製作のなかで重要な位置を占めるようになっているので、アニメーションの未来のかなりの部分は、他の種類のフィーチャー映画製作と深い関わりをもっていると多くの人が考えている。」これは本書17頁の「アニメーション」と題された項目中の一文だが、おそらくここには二種類の読みにくさが同居しているはずである。一つは相対的な読みにくさであり、「ライヴ・アクションのフィーチャー映画製作」という箇所をlive actionやfeatureに置きかえて理解する個々の能力によってその程度に差が生まれるだろう。もう一つは――こう言ってよければ――絶対的な読みにくさであり、それらの語がかかえる文脈そのものを受け入れようとするときに必ず生ずるものである。そうした文脈をほとんど持ちあわせていない者には、あたかも英英辞典を中途半端な日本語に移し変えたもののようにも見えるかもしれないこの翻訳は、しかし現時点において最善のものだと言うべきだろう。なぜなら、「映画学」をスタートさせたばかりの“われわれ”にはまだ“かれら”の「知」を適切な日本語に置きかえる用意ができていないからである。部分的には「実写の長編映画製作」としても十分意味が通じるであろう前述の箇所があえて原文カタカナ表記になっているのには正当な理由がある。「ライヴ・アクション」と「フィーチャー」の二語ともにアステリスクが付されていることから分かるように、これらはそれ自体一つの項目として別に記述をさかれている術語なのである。それらがいかなる術語であるかを知りたい者は、たちどころに本書の299‐300頁と384頁を探りあてるだろう。つまり翻訳は、個々の記述に応じて訳語を変えて読みやすい日本語をめざすことよりも、事典全体における訳語の一貫性を優先させ、原書の項目間の相互参照性をできるだけ保持することを選択している。このことが、同時に“われわれ”と“かれら”――米英を中心とした長大な蓄積をもつ映画史および映画学――の文脈の差異を露呈させているのであり、この点において本書の翻訳はすぐれていると評価できる。われわれが個々の努力と研鑚によって本書の相対的な読みやすさを獲得したとしても、またfeatureが「フィーチャー」や「長編」あるいはその他の訳語として定着したとしても、この絶対的な読みにくさが解消されることはないし、またそのように錯覚すべきでもない。われわれの先駆的な研究者たちがすぐれた仕事をしていたとすれば、それはかれらがこの差異のただなかに生きていたからではないだろうか。
この基本的な認識さえ自覚していれば、本書はわれわれ研究者が映画史と映画学の多様で複雑な歴史の森に踏み入っていくのに、またとない通行証となりうる。著者たちによって冒頭で述べられているように、他に類を見ない画期的な映画事典である本書の最大の特徴は、映画産業と映画学双方の用語を網羅しようとした点にある。これはインターネットやディジタル化、エンターテイメント産業の巨大化といった技術や経済活動の変動と、それらと不即不離の関係にある映画学の発展の両方とを、いま一度たがいに関連付けなければならないという今日的な学問的使命感から生まれている。この想像もつかないような困難な作業にあたって著者たちが採用したのは、記述の公平性ではなく、開かれた情報の提示という原則である。たとえば本書332頁の「弁士がサウンドの時代にも残存したことは、日本の国民映画における映画芸術の発展にとって深刻な障害となった」という現在では首肯しがたい記述も、それでもその説の典拠が明示されていることによって、われわれに反論の機会を与えてくれているのである。このことに比べれば、本書の記述が(ある意味当然であるが)英米ならびに欧州に偏っていることなどは、いちいち嘆くにはあたらないだろう。われわれは巻末の参考文献リストや訳者たちの手による人名・映画題名レファランスを参照しつつ、互いに乱反射しあう項目間を渉猟していけばよい(全項目の目次がないことが唯一惜しまれる)。確かな学問的意志を持った者には、“かれら”の「知」の体系が固有の文脈を伴って現れてくるはずである。そして重要なのは、われわれがわれわれ自身の「知」をつみかさね、本書がそうであるように、それを開かれたかたちで社会に還元するようつとめることである(たとえばわれわれは「ナカ抜き」というような映画製作現場に由来するであろう用語を歴史的、客観的に記述することができるだろうか)。この意味で本書は、われわれ研究者にとって必携の、有用であると同時にすぐれて教育的な書物である。
●書評 クラウス・クライマイアー著『ウーファ物語 ― ある映画コンツェルンの歴史』山本佳樹ほか訳(鳥影社、2005年)
田中雄次(熊本大学文学部教授)
本書は、Klaus Kreimeier: Die Ufa-Story. Geschichte eines Filmkonzerns (Munchen/Wien: Carl Hanser Verlag 1992)の全訳である。原著で520ページ、訳書で824ページにおよぶ大著である。本書は、2002年にフィッシャー書店からペーパーバック版(Klaus Kreimeier: Die Ufa-Story. Geschichte eines Filmkonzerns. Frankfurt am Main: Fischer Taschenbuch Verlag 2002)が出版されたが、内容、ページ数には一切変更はない。
「Universum – Film AG」の創立75周年にあたり、ベルリンのドイツ歴史博物館での回顧展やテレビの特集番組が組まれ、ウーファに関する書籍の出版も相次いだ。本書以外の大著としては、本邦未訳であるが『ウーファの本 ― 芸術と危機、スターと監督、経済と政治』(Hans-Michael Bock/Michael Toteberg(Hg.): Das Ufa-Buch. Kunst und Krisen, Stars und Regisseure, Wirtschaft und Politik. Frankfurt/Main: Zweitausenteins 1992)と、『バーベルスベルク ― ある映画スタジオ1912 – 1992』(Wolfgang Jacobsen: BABELS-BERG – 1912 Ein Filmstudio 1992. Berlin: Argon Verlag 1992)がある。前者はウーファ史のほとんどあらゆる観点を網羅した資料集であり、後者はウーファの中心であったバーベルスベルクに関するドキュメントをもとに多角的に分析した総合研究である。
上記の大著に対して、クライマイアーの著書にはどのような特徴があり、いかなる研究史上の意義をもつのだろうか。そうした点を以下に述べることにしたい。
本書の構成は、1917年12月の軍部のエーリヒ・ルデンドルフ将軍の要請による創設から1933年1月のワイマル共和国最後までの時期を扱う第1部と、宣伝相ゲッベルスの意向が実質的に支配した1933年から1945年に至るナチス政権下における映画の代名詞となったウーファの歴史を扱う第2部から成っている。そして、ドイツ語の特徴でもあり、表現主義映画『カリガリ博士』でも用いられた、本論の最初と最後に「開幕スーパー」(「フェードイン」を含む)と「終幕スーパー」を置いた、いわゆる「枠構成」を取っている。とりわけ「フェードイン」の、ウーファの歴史はドイツの文化史そのものであり、「政治と経済、学問と技術、大衆の妄想と大衆の願望、キッチュと商売と芸術から成る、極めて矛盾に満ちた複合かつ危険な混合体」(8頁)であるという指摘は、全編を貫く赤い糸である。
本書は、第一次大戦の混乱の中で生まれ、第二次大戦の惨憺たる敗戦の中で実質的にその使命を終えたウーファの歴史を、当時の社会のさまざまな要素を再構築し、考察している。激動の政治・経済状況の中の「大聖堂」としてのウーファとそこで活動する「聖堂建築職人」としての才能豊かな映画人たちの形姿を活写する手つきは確かである。また、映画技術、建築、デザイン、文学、音楽についての博識を駆使しながら、映画の観客である大衆にも最大限に目配りして、「ドイツ人たちの魔法の映像の帝国」(7頁)であったウーファを多層的に読み解く姿勢が貫かれている。そうしたことが、本書をすぐれた映画研究書にすると同時に、ワイマル時代および第三帝国時代を俯瞰する総合的視野を合わせ持つ歴史書として読むことを可能にしている。
本書の研究史上の意義のひとつは、記録文書と二次文献と映画分析を総合的に組み合わせて映画絵巻を創り上げたことである。とりわけ、ワイマル時代初期の変革の状況の表現者であったエルンスト・ルビッチュをめぐる言説(87‐113頁)、1925年12月に締結されたウーファとパラマウント社およびメトロ・ゴールドウィン社によるパルファメト(Par・ufa・met)協定をめぐる諸問題に関する記述(229‐238頁)、そして協定締結と密接に関るフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』についての多角的な考察(278‐288頁)はその白眉である。また、血と土の叙事詩を多く描いた印象が強いナチス政権下の映画製作の中にあって、いまなお褪せぬ魅力をもつジールク(アメリカではダグラス・サーク)監督のメロドラマなど、平凡で現実から遊離した作品を分析する言説が多く占めていることも特筆すべき点である。 いまひとつは、「あとがき」に書かれているように、「(ウーファを)支配した政治権力者たちの権威主義とそこで働く芸術家たちのユートピア的なヴィジョンとのあいだの力学として、弁証法的に捉えた点」である。そのことは例えば、ウーファ最高のプロデューサーであったエーリヒ・ポマーが、その所有者の意図に迎合することなく、金のかかる芸術映画製作にこだわり続けた経緯を詳細に記述している1924‐26年にかけての記述などにうかがえる。
本書は、先にあげた本書と同じ時期に刊行された二つの著作とともに、ジークフリート・クラカウアーのヒトラーへの服従に至るドイツ人の集団心理の変遷を考察した名著『カリガリからヒトラーへ』(丸山定訳、みすず書房、1970:Siegfried Kracauer, From Caligari to Hitler, Prinston University Press, 1947)を合わせ読むことで、ドイツ映画に対する見方はより実り豊かなものになるだろう。
本書の訳文はきわめて読みやすく、固有名詞、訳語、文体も統一が取れている。「注釈と出典」、「ウーファ史年表」、「参考文献」には和訳と邦訳文献が記載され、「索引」には原語が、「映画題名索引」には製作年が、「人名索引」には判明できる限りの生没年が書かれていることも、ドイツ映画研究者だけでなく、ドイツ映画に関心をもつ人たちに大いに参考になるだろう。
日本におけるドイツ映画への関心や研究を活性化させ、20世紀のドイツ史に新たな視点を開く契機となることを願う訳者の方々の期待の実現のためにも、本書は多くの人たちに読んでほしい労作である。
●書評 加藤幹郎著『映画の論理 ― 新しい映画史のために』(みすず書房、2005年)
山本一郎(松竹プロデューサー)
4月1日の深夜のことですが、私は自宅から徒歩5分のTSUTAYA高田馬場店にDVDを借りに行きました。わりと広いことと最近できたばかりなので、どこに何が陳列されているかわからず、2階レンタルコーナーの検索システム(ひらがな入力のみ可)で“にこらす・れい”と入れました。ないだろうと思っていた「暗黒への転落」が見つかり、表示された棚に向かいましたが、私の後にひょっとしたら来るかもしれない“にこらす・れい”ファンのために、あえて検索表示一覧はそのままにしておきました。
ジャンル論とはまったく無関係に“ジャンル”別に並べられた棚は“サスペンス”のコーナーでしたが、50音順配列ではありません。仕方なく私は階下にもどり、深夜アルバイトの魅力的な若い女性店員に説明しました。検索システムでは何事も起こらなかったので、50年代のハリウッド映画ならここが出会いの場面(実は「三つ数えろ」の古書店の場面を少し意識しました)となり、2階へ向かう階段でうまいやりとりがあるかもしれませんが、何事もなく、すでにカウンターのパソコンで再検索してくれていた彼女は、私を違う棚へと案内してくれました。DVD「暗黒への転落」は、“洋画ドラマ”の“シリアス”という棚に分類されて、ビデオ「ある結婚の風景」とビデオ「暗殺前夜 ― ムルンバの叫び」の間にはさまれていました。携帯電話でアクセスしたクーポンを見せて半額にしてもらって185円を支払い、「暗黒への転落」は延長しない限りは7日間私のものとなりました。
さて本書の『映画の論理』という大きなタイトルには、「新しい映画史のために」という副題がついていますが、タイトルとともに納得しました。全6章で展開される内容は、非常に幅広く、映画を見ることそのものからはじまり、50年代を中心としたハリウッド映画といわゆる実験映画、そして最近の映画に対する分析、さらにはシネマ・コンプレックスにいたる映画館と観客の関係が述べられ、最後に一字一句噛みしめなくてはならない定義集(「映画1」、「映画2」、「映画学」の三つ)が止めを刺してくれます。映画をある程度知っているつもりの読者がここまで無傷でたどり着けるとはとても思えません。主に「切り返し」という言葉に切られて血を流すからです。「とりあえず大変だ、見直そう」というわけです。私はなんとなく半分見ていたDVD「明日に処刑を・・・」を最後まで見てから、数年ぶりに「暗黒への転落」を見ることになりました。(昨年本書を読んだときは、慌てて「水上の稲妻/ニックス・ムーヴィー」をビデオで見たのを思い出しました。)
本書「第3章 ニコラス・レイ論の余白に」で、著者はニコラス・レイを3ページ目からニックと表記しますが、これがぞっとするほど効きます。「暗黒への転落」の“プリティー・ボーイ”ジョン・デレクは、ハンフリー・ボガードから常にニックと呼ばれるからです。この論文自体が男性メロドラマになってしまうのではないかという、サスペンスに変わるからです。
さて私は「切り返し」や裁判映画としての「暗黒への転落」に関する本書の記述をひとつひとつ思い出しながらDVDを見終わりました。その点を別にすれば、私は前に見た時と同じ所で目を見張りました。アパート前の狭い場所で、子どもなのか青年なのかよくわからない数人が野球をしているところに、ジョン・デレクたちがいる場面です。男の子のような服装をした、バットを手にした発育しきった少女に、ジョン・デレクが抱きつくのですが、なんとも居心地の悪い場面です。もちろん若い男女が微笑ましくふざけているというのとは、ちょっと違った何かなのです。同じように、“雑巾パーティー”で、教官からホースで水をかけられて少年たちが虐待を受ける場面もそうでした。教官の背後からとらえたショットが切り返されて、キャメラつまり観客に向かって水が飛んできますが、これは恐らくは最後の裁判の場面で、裁判長の見た目――観客の立場に近いはずの陪審員は追い出されて不在です――のアングルで、ハンフリー・ボガードとジョン・デレクが立っているショットとつながるのでしょう(私は今回もハンフリー・ボガードの、あの特徴ある齧歯類を彷彿とさせる前歯が原因だと思われる、長い台詞とともに光り出す下唇に脅威を感じました)。
私は映画に関する書物ばかりか読書量が絶対的に不足しているという自覚がありますが、私にとって本書ほど撮影現場と映画館を交互に想起させてくれる映画論はありません。私はしばしば蓮實重彦氏の文章を読んで劇場に向かい、レンタル・ショップに行きますが、撮影現場を思い出すことはあまりありません。同じでありながら違うからだと思いますが、その原因を具体的に考えるには、私はあまりに中途半端でしょう。