日本映画学会会報第20号(2009年12月号)

●エドガー・G・ウルマー『日曜日の人々』 ― 小さき人々の(ための)エチュード

平井克尚(京都大学大学院博士後期課程)

 2009年11月9日、フランスの映画批評家・研究者レイモン・ベルール氏による講演会(「映画と写真の出会い ― 『日曜日の人々』における不確かな2分間」)が関西大学にて開かれた(司会・堀潤之氏)。以下、エドガー・ウルマーらによる映画『日曜日の人々』中の問題とされるシーンを幾つかの過去の批評的言説(ベルールのものも含め)とともに管見もふくめて紹介させていただきたい。

0.はじめに
 2003年に出版されたシュテファン・グリッセマンによる初めてのモノグラフによりエドガー・ウルマーの全体像が概略的にも知られることになる。これまで「B級映画の帝王the king of the B’s」として知られることの多かったウルマーであるが、断片的にしか知られていなかったそれ以外の様々な映画的遍歴が全体像のもと照らし出されることになる。つまり「B級映画の帝王」としてのウルマー以外にもイディッシュ映画をはじめとするマイナー映画を製作していたことなどをわれわれは知ることになるのである。そのようなウルマーの初期の映画にロバート・シオドマクらと共同して撮られた『日曜日の人々Menschen am Sonntag』という作品がある(ここには若き日のビリー・ワイルダー[脚本]、フレッド・ジンネマン[助手]らも参加している)。この映画の可能性はどこにあるのか。これまでにもこの映画は様々に論じられてきた。たとえばこの映画には「小さき人々(無名の人々)kleine Menschen」を対象とするスナップ・ショットの静止画像が挿入される。なるほどそれはこの映画においてクリティカルなポイントとなっている。したがってそれについてはこれまで様々な理論的考察が誘発されてきた。たとえば以下の批評である。社会心理学的批評(S・クラカウアー)により「小さき人々」は「精神的によるべのない」ものとされ、エッセイ風批評(M・ゾロトウ)により、この映画は「楽天的批評」とされ、美学的批評(R・アルンハイム)により、挿入されるスナップ・ショットの静止画像は「運動する静止」とされ、社会哲学的批評(B・バラージュ)により、この映画は「小さな現実」というイデオロギーとされた。そしてこのスナップ・ショットの静止画像の挿入については現在にあっても議論を誘発し続けている(R・ベルール、後述)。以下においてスナップ・ショットの静止画像の挿入をこれら批評を参照しつつ『日曜日の人々』における「小さき人々」の表象の可能性を現代的批評から再度探るためのエスキスを示したい。

1.スナップ・ショットの静止画像の挿入
 『日曜日の人々』に1人の海浜写真師が忙しく撮影しているシーンがある(shot no. 522以下。現在この映画には修復版が存在するが各ショットはエクセル・シート化されている)。三脚のついた写真機を持った海浜写真師自身の映像が映画の中に現れる(shot no. 522他)。そしてこの海浜写真師により撮影されたと思われる写真も映画自体の中に現れることになる(shot no. 527他)。しかもそれは撮られた写真を映画のカメラで捉えて提示するといったものではなく、静止画像(=スティル)として挿入されることになる。ところでこの海浜写真師が写真カメラマンではなく映画カメラマンであれば、この映画は自己言及的な構造を持つことになる。ではそのような自己言及的な構造を持った映像上の実験が当時存在していなかったのかと言えば、存在していた。この映画は後にウルマー自身がインタヴューでも答えているように、同時代のヴェルトフによる『カメラを持った男』(1929)に刺激を受けて製作されたものである。この映画における街頭撮影といい、素人の登場人物を出演させることといい、突然閃いたものではない。ボグダノヴィッチによるインタヴューにおいてウルマーは『日曜日の人々』の製作にあたり、ソヴィエト・ロシアの映画監督ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』という映画を見て、それに魅了されていたと語っている。この「映画がキエフの路面電車の中で、セットではなく本物の家の中で撮影され、俳優ではなく本物の人々によって作られたものだったからだ。デ・シーカが20年後に思いつくアイディアだ」。実際『カメラを持った男』は1929年1月8日にキエフで初上映され、4月9日にはモスクワで、そして5月19日にはベルリンでプレス上映、7月2日には一般上映されて、7月5日にはドイツのDie Rote Fahne紙にこの映画についての論評が掲載されていることからしても、『日曜日の人々』の製作にあたった者たちがこの映画を見たであろうことが推測される(ここにもやや複雑な事情が介在しているが、そのことについては『日曜日の人々』の製作経緯ともあわせて後述する)。時間的な順序として、ウルマーが述べるようにまずウルマーらはヴェルトフの映画に刺激を与えられているのである。
 実際ヴェルトフの『カメラを持った男』では、この映画を撮影しているという設定の映画カメラマン自身の映像が挿入されている。移動する馬車などを捉えたショットのみならず、その移動する馬車と併走する自動車から撮影しているというところも撮影され、画面に挿入されている。つまりこの映画は先述したように自己言及的な構造を持っているのである。この点からすると『カメラを持った男』は観客に今自分たちが見ているものは映画であるということをあからさまに意識させるものとなっている。その意味でブレヒト的な異化効果を持つものである。つまりこの映画は単に映画を見るといったことにではなく、この映画を見ているということはどういうことなのかということを問題にするものであろう。1930年代から30年ほど経った1960年代にあってもブレヒト的試行が反復され、事態はよりわかりやすくなったかもしれない。しかし1930年頃のこの時点にあってはまだまだ手探りのところがある。ところがその映画から刺激を受けて製作された『日曜日の人々』には問題がある。つまり先にも触れられたように、ここにあっては『カメラを持った男』における映画カメラマンが写真カメラマン(海浜写真師)へと変容させられ、自己言及的な構造が回避されている。また『日曜日の人々』にあってもヴェルトフの『カメラを持った男』と同様に、写真の静止画像のショット(shot no. 526, 527他)が挿入されるという類似性も見られはするが、それでも相違点がある。つまり『カメラを持った男』においては動く映像から静止する写真へ、あるいは静止する写真から動く映像へというプロセスのみならず、編集作業の様子などもあわせて提示されていたが、『日曜日の人々』においてはなるほど動く映像から静止する写真へ、あるいは静止する写真から動く映像へというプロセスは提示されているが、編集作業の様子などは提示されることはなかった。さらにこの映画『日曜日の人々』にはサイレントということでインタータイトルが挿入されているが、前半部分は普通の形態のものであるが(shot no. 1, 2, 3他)、最後のシーンではこれもまたヴェルトフの興味深いインタータイトル使用からの影響を思わせる(shot no. 841, 843他)。このように『日曜日の人々』には『カメラを持った男』と類似した試みが幾つか見られることになる。しかし「どのようなテクストも様々な引用のモザイクとして形成され、テクストはすべて、もう一つの別のテクストの吸収と変形に他ならない」のであれば、『日曜日の人々』は『カメラを持った男』の単なる模倣ではなくインターテクスチュアルなものと考えられるべきであろう。ウルマーらはヴェルトフから影響を受け、ヴェルトフを彼らなりに発見することになる(ただ『カメラを持った男』のような自己言及的な構造を持った映画は、この映画以前にも、とりわけそれ以後にもあり、それら内部での差異にも自覚的でなければならないではあろう)。

2.社会心理学的批評 ― 「精神的によるべのない」もの
 さてこの映画における様々な「小さき人々」を捉えたこの映像上の工夫(スナップ・ショットの静止画像[スティル]の挿入、shot no. 526, 527他)はどのように解釈されるのか。この映画に寄せられる批評は同時代から様々にあった。もちろん否定的な評価も数多くあったし、肯定的な評価もあった。ではこの映像上の工夫に関する批評はどうなのか。たとえば同時代に社会心理学的な批評(S・クラカウアー)がある。それによればこの映像上の工夫において撮影された人々は活動の最中に突然凝固してしまったかのように挿入されるが、なるほど彼らが動いている限りはただの普通の人々であろう。しかし彼らが静止状態にいたると、彼らは「不意の出来事で生じた滑稽な産物」として現れ、スナップ・ショットの静止画像は「中間層下層の人々には実質がどれほどわずかにしか残されていないかを、明らかにしようとしているかに見える」とされる。またこの映画には人気のないベルリンの街路や家屋のショットが見られる(shot no. 471以下)。かつてヴェルトフの映画に描出されたモスクワなどと対比され、ルットマンの映画(『ベルリン、大都市の交響曲』)に描出されたベルリンが綺麗に磨き上げられている点が批判されたが、『日曜日の人々』でのベルリンもどちらかと言えば装い磨き上げられているように感じられる。そして人々を捉えたそうしたスティルはベルリンで当時仕事に従事している者たちが実際に生活している場の「精神的空虚」について、以下のことを確証するのではないかとされる。この時期ドイツはワイマール期であり、しかも1924年から1928年の間に社会的な変動によりホワイト・カラー階層が実際上プロレタリア的存在になっている。それにもかかわらず彼らはそのような現実を認めようとせずに、自らの古い中産階級状態を維持しようとし、そのため「精神的によるべのない」ものとなる。つまりこの批評においては、この映画の登場人物である「小さき人々」は「精神的によるべのない」ものと解釈されることになる。このように、この映画におけるスティル挿入は普通には自覚しがたい社会的在り方を自覚させることにあるというふうに社会心理学的に解釈されることになる(後にこの「精神的によるべのない」ものは社会哲学的批評によりさらに違った角度から考察され、この映画は「小さな現実」というイデオロギーを補完するものとされる ― そのような社会哲学的批評が当時なされねばならなかったそれなりの理由が存在した。つまり週間ニュース映画や「対象を最新流行の様式で完璧」に捉えることにより「貧困さえも享楽の対象」としてしまう「ノイエ・ザッハリッヒカイト」の美学を批評するものである)。

3.美学的批評 ― 「中断」:「運動する静止」
 1933年になされた批評(R・アルンハイム)によると、普通のスティル写真は私たちが実際に思っているほど映画から根本的に遠いものではない。もちろん映画とそのスティル=「フォトグラム」というプロブレマティークは現在のわれわれにとっては疎遠なものではなく、逆にある意味では親しい。1933年になされたこの批評によれば、スティル写真はイラスト入りの雑誌や映画館のショウケースのために頻繁に用いられているが、それが上映中の映画の途中に挿入されると実に「奇妙な印象」を生み出すことになる。つまり「運動する映画のシーンにおいて存在する時間の経過が、途中に編集されたスティル写真のシーンに転換されるために、これは中断する不気味な凝固として機能する」と言うのだ。「時間がそのように転換され、凝固も言わば運動として評価されることになる。つまり運動する静止(Bewegungsstillstand)として評価される」のである(「中断」への着目はS・ソンタグのエッセイ的批評(1977)により変奏されることになる。「この写真は、映画のシーンが経過する中で、一瞬のうちに現在を過去に、生を死に変容させることによりショックを与える」)。一方、普通の写真においてはどうかと言えば、それは凝固の印象を与えることはない。というのは「人は写真を運動の様相で見ないからであるし、人が写真を観察する際の時間は、映像上に転換された経過という意味での時間の経過として人に見られることはないからである」。そして映画の中に挿入されたスティル写真はロットの妻(ソドムから逃げ出す途中に後ろを振り返ったために塩の柱にされる)にかけられた神の箴言のように機能するという。なるほど『日曜日の人々』の中にまさに砂浜で商売をしている海浜写真師が出てくるわけだが(shot no. 522以下)、その彼が写した人々の半身像などが突然スティル写真となって挿入されるのは先に見たとおりである(shot no. 527他)。そこでは「気取り無く動き笑っている人々が、魔法の杖に突然触れられたかのように凝固してしまい、数秒間の間、息苦しいほどの不動性の中にとどまる」。このようにアルンハイムの批評では、挿入されるスティル写真は「運動する静止」と解され、普通のスティル写真とは区別される。つまり挿入されるスティル写真は単なるスティル写真への単純な回帰ではなく、そのような挿入されるスティル写真の静止が、そこでの運動に独特の様相を付与することになる。このように社会心理学的考察の色合いは希薄ではあるが、鋭い哲学的省察に満ちた議論は当時から存在したわけであるが、このような哲学的考察に満ちた議論は後の時代に再び回帰することになる。

4.「不確かな2分間」(R・ベルール)
 さらにスナップ・ショットの静止画像が挿入されるこのシーンに、今回の講演会でR・ベルールは「映画内部の写真」という「奇妙な印象」(アルンハイム)を生み出すものをみて、シーン全体を6つのパートに分け、そのグラデーションをつぶさに見ていくことになる(「『日曜日の人々』における不確かな2分間」)。まずベルールは静止画像の挿入という実験が同時代のヴェルトフによる『カメラを持った男』(1929)、ボリス・バルネットの『トルブナヤの家』(1928)によりなされていたことを確認し、『日曜日の人々』のそのシーンと比較対照させる。そしてヴェルトフにおいて静止画像は「運動のさなかに使われる画面静止の威力を潜在的に作品全体に沁み渡らせ」、「それ以外の特殊効果と結びつけられて、革命に奉仕する映画の、ものみな全てを美化する力を称揚」するものとされる。他方バルネットの作品において静止画像は「映画の筋立ての突然の転回とともに現れる」が、バルネットを魅了したものは「中断の力」、「心理的かつ造形的な、強い衝撃を齎す中断の力」ととらえられる。そして静止画像は、バルネットにおいては、ヴェルトフのように「映像機器の機能を解体することで現れる様々な可能性を、分析的に探る作業のうち」に存するものではなく、「純粋な謎そのもの」としてとどまるものとみられることになる。
 では『日曜日の人々』における静止画像はどのようにとらえられるのか。6つのパートに分けられるうちの、たとえば2番目のパートの動く映像から静止する写真へというプロセスは「瞬間的な運動の固定化」であるとみられる。ショットが静止画像になった瞬間、そこには「神話的な時間」がみられるという。そこでは「シャッター音と、写真機内部の見えない感光と、実際には行われなかった写真のプリントが同時に行われている」とされる。そして2番目のプロセスとは逆のプロセスを示す3番目のパートの静止する写真から動く映像へというプロセスは「固定化が常に潜在的なまま」であるとみられる。ここにおける静止画像の時間は「写真の不透明性、そして写真の凝縮性に、われわれを魅する何かがあることを告げている」とされる。そして5番目のパートでは8つの写真が挿入されるが、最初の1枚は1人の女性で、残りの7つには男女のカップルがクロースアップか寄りで決まりきった恋人同士のポーズで収まる。これらの写真は背景なし、あるいは絵に描かれた木々をバックにしたスタジオ撮影で通常の写真と絵葉書との中間に位置している。そしてこれら8つのスタジオ写真は「既に固定化された運動」であるとされ、その闖入には非常なインパクトがあるとみられる。このように「奇妙な印象」をもたらす「映画内部の写真」に様々なグラデーションが見られ、「映画の上映という限られた時間、『日曜日の人々』の2分間には、映像の運動と静止が齎す多様な姿にまつわる不確定性のニュアンスが凝縮されている」とされる。

5.「歴史のない人に歴史を返したい」
 ウルマーらによる『日曜日の人々』には歴史的に様々な批判的言及がなされてきた。しかしそのような批判的な言及を踏まえたうえでも、この映画の持つ瑞々しい魅力は失われることはないであろう。あらためてこの映画に出演している「小さき人々(無名の人々)」を捉えたあるシーンに眼を向けてみよう。それはレコード店の店員ブリギッテ・ボルヒャルトとワイン販売業者のヴォルフガング・フォン・ヴァルターの2人が他の男女の連れ合い2人を加えて4人で近くの湖畔で戯れるシーンである。このシーンは以下の幾つかのショットから構成される。たとえば[1]砂浜にある草の茂みで着替えをする女(ブリギッテ)を捉えたショット(shot no. 325)。そして[2]水面で男(ヴォルフガング)が女(ブリギッテ)のお腹を支え、支えられた女が手足を動かし泳ぐ練習をするのを捉えたショット(shot no. 369)。さらには浜から奥まったところにある森林の中で男(ヴォルフガング)と女(クリステル、ブリギッテ)が追い駆けっこをして戯れる。そして[3]女(クリステル)が枝葉が生い茂る木々の間をひらひらとくぐり抜けるショット(shot no. 597)。それから[4]じゃれあっていた男(ヴォルフガング)と女(ブリギッテ)とは近づいて見つめ合う。女は男の顔に手のひらを押しつける。手のひらに覆われた男の顔を捉えたクロースアップ・ショット(shot no. 621)。手のひらを押しつけられながらも引き寄せられ上目づかいで見上げる女の顔のクロースアップ・ショット。そしてキスをする2人を捉えたクロースアップ・ショット。そしてこれらのショット([1][3][4])を自らの映画に引用するのが『新ドイツ零年Allemagne Annee 90 Neuf Zero』(1991)のゴダールである。しかも引用の際、背後で語られるナレイションも意味深い。着替えをする女(ブリギッテ)のショット[1]が挿入される前にナレイションにより語られるのは「歴史のない人に歴史を返したい」という言葉である。乱暴な手つきで扱ってしまえば、怖じ気づいて隠れていってしまいそうなシューマンの『子供の情景』が背後に流れる中、これら一連のシーンが続く。そして着替えをするショットの後には幻灯による明かりのショットと「LATERNA MAGICA」の字幕のショットが続けられ、背後では「ドイツへの別の視点」というナレイションがさらに重ねられる。もちろん「ドイツへの別の視点」というのはウーファという確固たるスタジオ・システムのもとで製作された絢爛豪華な作品への視点とは「別の視点」ということである。そして先述した2人の男女のキス・シーンへと続けられることになる。「歴史のない人に歴史を返したい」というナレイションとともに、これら「無名の人々(小さき人々)」を登場人物とする『日曜日の人々』の一連のシーンが引用されることからも、ゴダールによってその〈無名性〉はさしあたり認識されていると言っていいであろう(種々の批評により否定的な評価に傾きがちなこの映画『日曜日の人々』であるが、この認識は現代的な問題意識「貧しき人々の仮構作用の機能」に呼応し、そこからの捉え返しを可能とすると思われる)。
 そして仮に『日曜日の人々』に見られる人々が「貧しき人々」、「歴史のない人々」であり、そこに留まり続けるものであるのなら、そのような水準からこの映画を、さらにはマイノリティーのためのマイナー映画製作などを含むところのウルマーのその映画的遍歴こそが見られなければならない。ともあれ「小さき人々(無名の人々)」の「エドガー・ウルマーの旅」はここから始まるのである。


●新入会員紹介

  • イレネ・ゴンザレス(京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程)日本映画における女性のありかた
  • 大野 真(大妻女子大学文学部コミュニケーション文化学科教授)映像文化論/世紀末ウィーンの文芸・文化研究
  • 川勝麻里(明海大学非常勤講師)近現代文学と映画学/宮崎駿論/野沢尚論
  • 後藤史子(福島大学行政政策学類教授)アメリカ文化/アメリカ映画(特に1930‐40年代)/映画史
  • 高階 悟(秋田県立大学総合科学教育研究センター教授)文学と映画学
  • 高橋ひかり(慶応義塾大学総合政策学部)文学と映画学/舞台役者