日本映画学会会報第9号(2007年7月号)

●日本映画学会会員のみなさまへのお知らせ

  • 第3回全国大会は京都大学にて2007年12月1日(土曜日)に開催いたします。上記大会で口頭発表を希望される方は、発表要旨を600字程度にまとめて、2007年9月15日までに学会事務局宛にEメイルにて通知下さい。そのさい件名欄には「口頭発表要旨」と記して下さい。
  • 本学会HPに学会誌『映画研究』第1号をPDF形式でオンラインいたしました。本学会の研究成果を広く社会に還元するために毎年オンラインしてゆく予定でおります。御理解のほどをお願い申し上げます。

●視点 1970年代のアメリカ映画におけるイタリア系アメリカ人の物語

藤田秀樹(富山大学人文学部教授)

 アメリカの1970年代は、イタリア系の映画人が台頭する時代である。フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、マイケル・チミノといった監督たち、そしてアル・パチーノ、ロバート・デニーロ、シルベスター・スタローン、ジョン・トラボルタ、タリア・シャイアーなどの俳優たちが脚光を浴びるようになる。折しもこの時代には、「エスニック・リバイバル」(ethnic revival)と呼ばれる現象が顕在化する。アメリカの社会構造の周縁に位置づけられたマイノリティ集団が、これまでは「アメリカ化」するために「坩堝」の中に溶解させるべきものとされてきた自らのエスニシティを、逆に自らの存在証明として捉え直すようになる。言うまでもなく、1950年代半ばから1960年代にかけて高揚するアフリカ系による公民権運動がこの現象の震源であろう。アフリカ系のこのような動きはやがてネイティヴ・アメリカンやヒスパニック系に、そして1970年代になるとホワイト・エスニック(white ethnic)と形容される諸集団、具体的にはイタリア系やギリシャ系などの南欧系、ポーランド系やロシア系ユダヤなどの東欧系、そしてアイルランド系など、言わば白人というカテゴリーの内部で周縁性をしるしづけられた集団にも波及していく。このような時代相に呼応するかのように、前述のイタリア系映画人たちは濃密な「イタリア系の物語」を語りだすことになる。以下、1970年代のいくつかのアメリカ映画にふれながら、イタリア系アメリカ人という主題に関連して現時点で関心を抱いている事柄について述べていくことにする。
 19世紀にはアイルランド系が「ホワイト・ニガー」(white nigger)と呼ばれることもあったという事実が端的に示すように、かつてホワイト・エスニックたちは限りなくアフリカ系に近似する存在と、言わば白人と非白人のはざまにある存在とみなされた。それゆえにイタリア系をめぐる物語には、この「境界線上の白人」とでもいうべき微妙なステータスの影がつきまとう。このステータスは、自分たちの間近にいる非白人という他者が侵食してくることへの不安、そしてこの他者と自分たちを差異化しなくてはならないという強迫観念をもたらすことになる。イタリア系のプロボクサーを描いた3つの物語、『ロッキー』(Rocky 1976)、『ロッキー2』(Rocky II 1979)、『レイジング・ブル』(Raging Bull 1980*この作品も1970年代というカテゴリーの中で取り上げることにする)の主人公たちがアフリカ系のボクサーと宿命的ともいうべき死闘を繰り返すのは、単にこのスポーツにおいてアフリカ系が占める割合の高さだけに起因するものではないだろう。そこでは、イタリア系とアフリカ系の近接性のみならず、イタリア系がホワイトネス(whiteness)、つまり真正な白人としてのステータスを獲得するためには、アフリカ系を打ち倒し自らの優越性を示すことで差異化を果たさなくてはならないことが暗示されているのではないか。
 同時に、『ロッキー』における両者の関係性には、1970年代という時代の影もつきまとう。そこには、公民権運動を通して政治的、社会的影響力を獲得したアフリカ系に脅かされるホワイト・エスニック、という構図が映し出されているようにみえる。能弁で自己宣伝に長けたアポロ・クリードは、1960年代から1970年代にかけて急速に政治化したアフリカ系を連想させる。一方、大都市フィラデルフィアのインナーシティで失意と落魄の日々を送るロッキーには、アフリカ系の進出によって既得権を脅かされ(彼が新進のアフリカ系ボクサーにジムのロッカーを奪われるのは示唆的である)、自己主張するアフリカ系とそれに共感するミドルクラス以上の白人とにはさみうちにされて、自分たちを社会でもっとも忘れられた存在と感じるほかなかった都市に住む労働者階級のホワイト・エスニックの姿が投影されているようである。
 秩序の周縁にたたずむ人々をめぐる物語は、その秩序の外部との接触や緊張関係からだけでなく、中心へ向かおうとする志向に起因する葛藤からも生まれてくる。イタリア系の物語も、同化やホワイトネスの獲得とエスニシティの間で揺れ動く人物を描き出す。『ゴッドファーザー』(The Godfather 1972)は、移民世代からアメリカ生まれの二世への代替わりの物語であり、イタリア系の新しい地平を切り開こうとするのがファミリー内の「異分子」マイケルである。二人の兄とは違ってひとりだけイタリア語の響きが欠如した名前を与えられたこのビート・コルレオーネの末息子は、大学教育を受け、妹の結婚式に「アメリカ」への忠誠を誇示するかのように軍服姿で現れ、「家業」を覚めた目で見つめそしてその合法化を目指し、非イタリア系の妻を娶る。同化へ突き進むためには、濃密なエスニシティの空間である家族とコミュニティの紐帯を断ち切らなくてはならない。マイケルは兄弟殺し(『ゴッドファーザー』では義弟、『ゴッドファーザーPart II』では実の兄)を実行し、ニューヨークの主要なマフィアのファミリーというイタリア系コミュニティの解体を図る。
 同様の視点から『サタデー・ナイト・フィーバー』(Saturday Night Fever 1977)を見てみることにする。この物語は、ニューヨークのマンハッタンとブルックリンを結ぶブルックリン橋を上空から俯瞰する映像とともに始まる。同時に橋の両側に広がる対照的な二つの風景、つまりきらびやかな摩天楼が林立するマンハッタンと、古びてくすんだ建物が建ち並ぶブルックリンとが交互に映し出される。この二つはそれぞれ、まばゆいホワイトネスの空間と暗く貧しげなエスニシティの空間を具現するものであり、その間に屹立する巨大な橋は、両者を結ぶというよりは分断する障壁のようにみえる。このように、冒頭で物語を動かす二つの磁極が提示される。そしてブルックリンに住むイタリア系の若者が登場する。主人公トニーは家族とコミュニティに縮図的に示されるエスニシティの世界に違和感を募らせていき、最後に境界線を越えてホワイトネスの世界に入っていく。しかしこのような結末は、決して輝かしい上昇移動を印象づけるものではない。彼をホワイトネスの世界にいざなう役割を果たすのが、やはりブルックリンに住む若い女性ステファニーだが、彼女は自らのコミュニティを過剰に嫌悪し、滑稽なまでにホワイトネスの世界を憧憬する女性として戯画化される。彼女は念願どおりその世界への移行を果たすが、同時にその移行の背後にあるうしろめたい事情をトニーに知られることになる。泣き崩れる彼女を、トニーはブルックリン橋のたもとにある公園に連れて行き慰める。ベンチにすわった二人が眼前に聳え立つこの橋をじっと見上げる場面はとても印象的なものである。エスニシティの世界が将来の展望も見えない暗澹たるものとして描かれる一方で、そこからホワイトネスの世界に進むことも「痛ましさ」をともなうものとして描かれ、また二つの世界の間に厳然と存在する境界が可視化される。『ゴッドファーザー』にも言えることだが、同化をめぐる表現がアンビヴァレントなトーンを帯びることは興味深い。
 ホワイト・エスニックの中でも、イタリア系は「異人」性をより強くとどめている集団という印象を受ける。白人であることという問題も、イタリア系をめぐる物語においてはほとんど常に相互作用や葛藤、相克といった位相で主題化される。白人という概念が、実は自明のものでも不変のものでもないことを暗示しているようにみえる。彼らの物語は、人種とは何かという問題を考える上で多くの示唆を与えてくれるものであろう。


●書評 小川順子著『「殺陣」という文化 ― チャンバラ時代劇映画を探る』(世界思想社、2007年)

「殺陣」という文化

羽鳥隆英(京都大学大学院博士後期課程)

 『「殺陣」という文化 ― チャンバラ時代劇映画を探る』は、現在、中部大学人文学部において映画学の教鞭をとられると同時に、能楽をはじめとする「日本文化」についての修養も積まれている小川順子会員が、その博士論文「チャンバラ映画における『殺陣』」を改稿のうえ上梓された、時代劇映画研究史上の画期的な論考である。すでに「日本経済新聞」の書評欄(2007年5月13日付)などを通じてひろく脚光を浴びた書物であり、映画言説共同体の構成員の大多数がその学術的な意義を十分に認識していることと思われるので、本書評においては、やはり時代劇映画についての研究を志している一介の映画学徒の視点から、本書の多様な魅力の一端について力のおよぶ限りの紹介をさせていただきたい。
 はじめに本書の構成を確認しておこう。本書は「序」、第1章「『殺陣』とは」、第2章「殺陣の歴史的展開 ― 殺陣史」、第3章「武術の現実と映画的『リアリズム』」、第4章「『殺陣』分析の試み ― 3つの作品を素材として」、第5章「殺陣の現在」、そして「結び」という7つの部分を中心に構成されている。さらには参考資料として、映画製作者の故・溝口勝美、殺陣師の清家三彦、映画監督の中島貞夫、舞踏家の二代目・藤蔭静枝のそれぞれに対して著者がおこなった聞き取り調査についての大部の記録が付されている。
 本書を読み進めるなかで評者が感銘を受けたことのひとつとして、まずは議論の網羅性を挙げてみたい。第1章において著者は、「殺陣」という術語の歴史や時代劇映画以前の能楽、歌舞伎、新国劇などにおける「殺陣」の展開について整理している。そして続く第2章では尾上松之助から21世紀初頭にいたるまでの「殺陣」史を、これまでの日本映画史記述ではあまり顧みられることのなかった資料群の丹念な収集と分析とを通じて素描していく。そうした営為をへることによって、時代劇映画における「殺陣」を映画言説共同体の側から画定したのち、第2章の結尾部において著者は、「殺陣」の魅惑を以下のように抽象化している。すなわち「殺陣」を「映像効果的要素」、「コレオグラフィー的要素」、「スプラッター的要素」、「武術的要素」の四大に還元するのである(74頁)。こうした結論は、100年をこえる時代劇映画の言説史において、「殺陣」のどのような点が問題化されてきたのかを網羅的かつ体系的に分析することによってはじめて可能になったものであり、評者としては本書第2章を従来の時代劇映画史の集大成とみなしたい。むろん著者は「殺陣」史を映画言説共同体の側から画定する作業のみをもって十分とすることなく、第4章では阪東妻三郎主演による『雄呂血』(1925年)と市川雷蔵主演によるその再映画化作品『大殺陣 雄呂血』(1966年)とにおける「殺陣」を歴史的視野のもとに比較検討し、さらには市川右太衛門主演による連作『旗本退屈男』(1930年‐1963年)にみられる「殺陣」の変遷を、ショットのサイズや持続時間など点から網羅的かつ実証的に考察することで、自説を映画的テクストの側からも補強しようとしていることを忘れてはならない。
 とはいえ本書の射程は、時代劇映画の制作者や愛好家たちによる旧来の「殺陣」史観を単純に整理することにとどまるわけではむろんない。じっさい著者はメタ歴史的な視点によって旧来の「殺陣」史を批判的に考察している。その好例ともいえるのが第3章で言及される「殺陣」におけるリアリズム、あるいはリアリティの問題である。周知のように、旧弊な時代劇映画史の記述において、「殺陣」は以下のような生物学的進歩史観のもとにながめられてきた。すなわち尾上松之助による歌舞伎実写風の「殺陣」が、阪東妻三郎や大河内傳次郎らによるリアルな「殺陣」によって粉砕され、続く中村錦之助や大川橋蔵らの舞踊のような「殺陣」もまた、黒澤明と三船敏郎との共同作業による『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1962年)でのリアルな「殺陣」にとってかわられたとする「殺陣」史観である。こうした思考の枠組みそのものに対して著者は疑問を投げかける。すなわち「『殺陣』がどこまで『リアル』=『本当の』『現実的』『写実的』になっているのか」という問いを発するのである(92頁)。そして著者は、映画監督・中島貞夫が黒澤時代劇について「仕掛けがないとできない」ために「擬のさいたるものである」と評価したことなどを援用しつつ(98頁)、「殺陣」におけるリアリズムがじっさいには「観客に対する『インパクト』であり『目新しさ』のこと」であるという説得的な結論へといたっている(101頁)。またこれと関連して、著者は「もし本当に剣の達人が複数の相手と立ち廻りをした場合」には「おそらく刀を相手の身体に軽く触れて、引き押すだけで、動脈や指を斬り落とし続けるという運剣術を最大限に活用するはず」であるために、「逆説的なことだが[中略]『舞踊的な』立ち廻りの方がむしろ刀の要求するリアリズムには」適合しているのだという見解を披瀝して(113頁)、歌舞伎出身の中村錦之助や大川橋蔵らによる舞踊的な「殺陣」を虚構とし、黒澤明=三船敏郎的な「殺陣」を現実であるとする紋切り型の「殺陣」史観に対して、メタ「殺陣」史的な立場からの意義深い批判を展開している。
 本書の魅力の2点目として、評者はその学際性を挙げたい。じっさい本書は時代劇映画の「殺陣」という、従来の日本映画史記述において周縁に置かれてきた要素が、驚くほど多様な学問領域へと接続可能であるということを立証している。たとえば第4章において阪東妻三郎主演の『決闘高田の馬場』(マキノ正博監督、1938年)を分析するにあたり、著者は1930年代における邦楽や歌舞伎、あるいは日本舞踊といった隣接芸能における近代化運動の動向、つまり『決闘高田の馬場』をとりまく同時代的な環境の様相を提示し、同作品をこうした環境のなかに位置づけることで、作品の山場となる「殺陣」が「歌舞伎という日本舞踊から取り入れた型とジャズ・ダンスのような軽快なステップという西洋的な要素」の結合(159頁)であるという興味深い結論を導き出している。こうした結論は、音楽学や演劇学といった学問領域に関するふかい教養を身に付けることによってはじめて可能となるものであり、映画学と隣接諸学との垣根をとりはらい、日本文化史全体のなかで「殺陣」を考察していくことの学問的な生産性を証明するものであるといえよう。また別の箇所になるが、著者は『決闘高田の馬場』において阪東妻三郎がみせる有名な走行の場面が、明治維新以前の日本人を規定していた「伝統的な身体運用」(133頁)の貴重な記録であることも指摘している。このことは体育学と映画学との共闘の可能性も示唆しており、能楽などを通じて「身体運用」の修養を積まれた著者に独自の見解といえるだろう。
 最後に、本書が21世紀における「殺陣」文化の(再)創造にむけて重要な役割を担うであろう点を指摘しておきたい。従来の「殺陣」論は時代劇映画愛好家が懐古趣味的にものした場合がほとんどであり、話題の中心は銀幕上の時代劇俳優に対する観客席からの愛情告白であった。本書がそれらの先行言説から区別されるのは、著者が映画監督・中島貞夫や殺陣師・清家三彦といった映画人への聞き取り調査を通じて、銀幕のむこう側、つまり製作現場についての情報を記録しているという点においてである。とりわけ第5章は著者の丹念な資料収集と聞き取り調査によって、殺陣師、監督、俳優などの多様な視点から、「殺陣」がいかに創造されるのかをわれわれに教示してくれる。これらの情報が、1960年代以降に一旦は絶滅しかけた時代劇映画の製作本数が再増加する気配をみせている21世紀初頭において、実作技術の継承という目的のために貴重な記録となるのはいうまでもない。
 冒頭でも述べたように、本書評においては『「殺陣」という文化 ― チャンバラ時代劇映画を探る』の魅力の一端を紹介することが目指されている。それゆえここでは言及することのできなかった多様な側面が、本書のうちに存在するのはいうまでもない。たとえば評者の目下の研究対象が日本映画史であるため、本書評ではもっぱら日本文化論的な側面を紹介してきたが、本書では時代劇映画における「殺陣」と、ダグラス・フェアバンクス主演のスワッシュバックラー映画や中国の武侠映画などとの比較検討作業もおこなわれており、比較文化論的な側面も看過することができない。いずれにせよ、映画が運動を再現する装置であるという基本的な事実に鑑みれば、「殺陣」という身体的な運動をめぐって精緻な分析をほどこすことに成功した本書は、映画に関心をいだくすべての研究者が折に触れて回帰しなければならない参照点のひとつとして、今後読み継がれていくことだろう。


●新入会員紹介

  • 張 惠英(立命館大学博士後期課程)韓国映画
  • 丸山弓貴(広島大学総合科学部人間科学プログラム4回生)文学と映画学