日本映画学会会報第7号(2007年2月号)

●日本映画学会会員のみなさまへのお知らせ

  • 本HP上に掲載されております学会誌『映画研究』論文投稿規程が一部改訂されました。投稿締切、論文の長さの上限等について変更がありますので、御確認のうえ投稿下さい。

●視点 映画史が日常の亀裂からこぼれ落ちてくる

板倉史明(東京国立近代美術館フィルムセンター研究員)

 地震によって引き裂かれた大地から地層の構造があらわになるように、偶発的な事故から知られざる映画史の相貌が浮かび上がることがある。よく知られているように、1950年代以前の映画史は火災の歴史でもあった。その原因は、自然発火の危険性がある可燃性フィルム(ナイトレート・フィルム)が1950年代まで世界各地で使用されていたからであり、現像所や映画館などでは火災が頻繁に発生していた。日本におけるフィルム火災で有名なものは、たとえば1928年に『実録忠臣蔵』(牧野省三監督)のネガの一部が編集中に焼失してしまった事件であろう。牧野省三はネガ編集時に誤って可燃性フィルムを照明器具に接触させてしまい、フィルムが発火して火災をおこした。もうひとつは、1950年に松竹下加茂撮影所のフィルム倉庫から出火し、1923年の関東大震災以降に松竹が製作してきた時代劇のネガ・フィルムの多くが失われてしまった事件である。イーストマン・コダック社は1950年代初頭に可燃性フィルムの生産を中止し、不燃性フィルム(セーフティ・フィルム)への転換が世界中でおこったが、日本においては1950年後半まで可燃性フィルムが一部で使用されていた(現在、可燃性フィルムは日本の消防法における危険物第5類に分類されている)。
 私は最近、日本における可燃性フィルムの歴史を調査する機会をもったが、これまでの調査経験でなじみのあった過去の文献を調べてみても、なかなか可燃性フィルムに言及した資料を見つけることはできなかった。考えてみれば、『キネマ旬報』や『映画評論』などの映画雑誌はおもに映画作品や映画作家を論じる場であるため、その映画作品が焼付けられている物質としてのフィルムを意識的に論じることはあまりなかったのかもしれない。そこで今回おもに活用したのは『国際映画新聞』であった。この雑誌は『キネマ旬報』とならぶ戦前の代表的な映画雑誌のひとつで、1927年から1940年まで刊行された。『キネマ旬報』が映画ファンのための雑誌であるとすれば、『国際映画新聞』は映画製作者、映画配給者、映画興行者のための業界誌であり、映画興行者の関心事のひとつとして可燃性フィルムに関する情報はたびたび掲載されていた(現在、『国際映画新聞』は東京国立近代美術館フィルムセンターの監修によって、ゆまに書房から復刻されている)。参考までに記事の執筆者とタイトルを拾ってみると、「月岡猛プロダクション『初陣』ネガ全部焼失」(3号)、帰山教正「不燃性フィルム問題」(20号)、前川彌輔「映写室の出火に機宜の処置」(21号)、「時節柄注意した映画倉庫の建築 横浜シネマの模範建築」(24号)、山根幹人「映写火災防止は映写機から――技師の免許制度は不便且不徹底」(57号)といった具合である。タイトルから想像できるように、可燃性フィルムの言説は火災という偶発的な出来事がなければ生み出されることはない。
 紙媒体の資料に加えて、今回大変重宝したのはインターネットにおけるデジタル・アーカイブであった。国立公文書館が運営しているアジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)のデータベースで、「活動写真」や「映画」のキーワード検索をすると、多くの貴重な公文書が瞬時に閲覧できる。映画学者ベン・シンガーが、マンハッタン地区におけるニッケルオデオンの立地場所と居住民族との関係を調べる際に、1908年12月に警察が調査した劇場分布の公文書を活用したが[1]、これは警察が防災の観点から作成した公文書が映画研究の資料として活用された好例であろう。アジア歴史資料センターのデータベースでは、1930年3月10日の陸軍記念日に、朝鮮の鎭海湾要塞司令部構内の映写会において104名が死亡した火災事故や[2]、1931年5月18日に群馬県群馬郡金古町の仮設映画館で発生した火災事故(13人死亡)の公文書などが公開されている[3]。これらの資料には当時の映画観客の年齢層、映画館の構造、映写技師の年齢など、通常映画雑誌には掲載されないような情報が数多く含まれていた。これらの情報は、地震によって生まれた断層から発見される恐竜の化石のようなものかもしれない。
 自然化したメディアは人々の意識にのぼることはなく、それゆえ語られることもない。しかし偶発的な事故をきっかけに、そのメディアについての言説がこぼれ落ち、歴史に染みを残してゆく。歴史記述の要諦のひとつは、日常の裂け目から露呈するわずかなことばに耳をかたむけることである。


[1] Ben Singer’s “Manhattan Nickelodeons: New Data on Audiences and Exhibitors”, Cinema Journal 34, No. 3 (Spring 1995).
[2] 「活動写真映写中発生の事故に関する件(庁府県)」JACAR(アジア歴史資料センター) A05032303100、警保局長決裁書類・昭和5年(国立公文書館)。
[3] 「活動写真映写中発生事故の件(群馬県)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. A05032021200、内務大臣決裁書類・昭和6年(上)(国立公文書館)。


●新入会員紹介

  • 木戸好信(近畿大学語学教育部非常勤講師)文学と映画学/メディア論
  • 堤龍一郎(イーストアングリア大学映画・テレビ研究科研究生)映画ジャンル論/北野武映画論
  • 西前 歩(慶應義塾大学SFC研究所訪問所員)