日本映画学会会報第4号(2006年6月号)
●書評 加藤幹郎編著『映画学的想像力 ― シネマ・スタディーズの冒険』(人文書院、2006年)
小川順子(中部大学人文学部専任講師)
本書は「シネマ・スタディーズの冒険」と副題にあるように、4つの観点より映画学への新たなる視座を問いかける8人の執筆者によるアンソロジーである。4つの観点とは、都市と映画、初期映画とアニメーション、ナショナル・シネマ、教育と映画という一見ジャンル分けしてしまいそうな幅の広さである。4つの観点といえども、その中で8人の執筆者たちの論は、切り口が違うため、更なる多様性を本書に与えている。だが、本書が「映画史」がかかえてしまったミッシング・リンクに挑戦する試みと考えるならば、これら8つの章はまだまだほんの一角に過ぎないことを考えさせられる。しかし、逆に考えれば、日本においてもようやく「映画研究」が厚みを帯び、ある程度スタンダードとなる「映画史」なるものが共有されるようになったからこそ、ミッシング・リンクが見えてきたともいえるだろう。
簡単ではあるが、各章を見ていきたい。
第1部である「都市と映画の相関文化史」は、加藤幹郎の「映画都市京都」と藤岡篤弘の「近代化する都市の映画館客」という2つの章によりなっている。両者とも「映画館」に焦点をあて、映画がどのように都市と関わりあっているかを論じているが、そこでは映画館に通う「観客」というものがクロースアップされてくる。映画を研究する上で、看過できないにもかかわらず困難を伴うために後回しなってしまうのが、「観客論」ではないかと考えていた。なぜなら「同時代の観客がいかなるものか」は、追体験できないからである。たとえ当時の観客にインタビューを試みたところで、それは思い出という記憶によるひとつの物語になってしまうからである。映画館を見直すことが、そこに動員を想定されているであろう観客を見る一つの視座になることを、そしてどのように映画が都市と関係し、そこに住む大衆に広まっていくのかを読み解く鍵であることを、この部では示してくれている。第1章の「映画都市京都」では、京都の映画館がいかなる戦略によって観客を獲得していったのかを見ていくことで、映画館が都市とそしてそこに住む住民とどのような文化的相関関係にあるのかを提示している。それだけではなく、京都に住む市民は、映画館に足を運ぶ観客、すなわち全くの受け手としての観客であるだけではなく、映画製作に一緒に参加しているかのような、すなわち作り手としての側面がありえたことを指摘している。それは、新聞に公開された情報により映画製作に見学にいけることが可能であり、身近な自分の住む町で映画製作に協力していることを認識できることである。昨今の「町おこし」のために、映画製作地を提供している(あるいは誘致している)市町村は、映画都市京都のあり方を参考にしたのかもしれない。そんな「想像」を駆り立てられた。第2章の「近代化する都市の映画観客」においては、とりわけ「ニュース映画館」とはいつぐらいから何を上映し、都市の中でどのように機能していたのかを、年代を追いながら考察している。その中で、我々が暗黙の了解のうちに使用している「ニュース映画」と「ニュース映画館」という言葉に対し、明確に定義や実体を提示してくれている。うっかりと曖昧にこれらを認識していたことに気づかされる読者も多いのではないだろうか。
第2部の「初期映画とアニメーション映画」においては、今井隆介の「描く身体から描かれる身体へ」と佐野明子「漫画映画の時代」の2章が所収されている。本書でも触れられているが、近年の日本のアニメーション映画の興行的ヒットと相俟って、アニメーション映画研究もかなり増えてきた。だが、諸外国との影響関係を踏まえた上で歴史的にアニメーション映画を俯瞰できているものが『日本アニメーション映画史』以外にほとんど皆無であるという現状は、いかに研究に偏りが出来ているのかを露呈している。しかも先の書が1977年に発行されたことを思えば、30年近くのたった今でも、アニメーション映画研究がまだまだ未開拓であることを痛感させられる。ここでも両者とも大戦期以前のアニメーション映画に焦点を当てている。そのことが意味しているのは、研究対象となっているアニメーション映画が、注目を浴びている昨今のものに集中しているという偏りであるだろう。まず第3章の「描く身体から描かれる身体へ」は、初期のアニメーション映画を、映画前史からどのように今の形態へと成り立っていくのかを丁寧に示してくれる。実写映画が、映画を撮影し上映する機械の発明から独自に発展したわけではなく、それ以前からあったさまざまな分野・パフォーマンス(小説や演劇、諸芸能などなど)と密接に関係し、その後も同時代の文化と密接に連動していることを我々は知っている。簡単に言ってしまえば、本章では、そのことがアニメーション映画においても同様であることを細やかな分析の上で明らかにしている。とはいえ、実写映画とアニメーション映画が同じような構造で、肩を並べて今日まできたのではなく、「動く身体」という観点からは対称的であり、交差していることを指摘しているのは興味深い。第4章の「漫画映画の時代」では、アメリカからの影響(大げさに言えば、アメリカからの一方的な影響)を重視しがちな従来の研究に、そして初期の段階が「未発達」=未熟であると考えがちな進歩史観に対して一石を投じている。このことは、アニメーション映画のみならず、実写映画研究に対しても波及していく問題であるだろう。もう一つ重要な点は、何を規範として映画の価値や優劣をつけてしまっているのかという問いにも、一つの解答を与えてくれていることである。これも、アニメーション映画研究だけの問題ではないことはあきらかだ。
第3部は「ナショナル・シネマの諸相」として、3つの章から成り立っている。この第3部がもっとも幅広く、多様な構成となっている。「ナショナル・シネマ」とはそもそもいかなるものか、とも問いかけてしまいたくなる。それゆえ、諸相としてここでは日本とスイス、イギリスにおける映画を、まったく別のアプローチから扱っている章が収められている。だが、この部を読み終わると、これらが「ナショナル・アイデンティティ」というものをめぐる考察であることが共通していることに気づかされる。第5章は板倉史明による「アイヌ表象と時代劇映画」と題された論である。日本独自のジャンルである時代劇映画において、日本が抱える人種問題、いや、日本が長い間表面に出してこなかったエスニシティの問題を、鮮やかに分析し、「ナショナリズム」とそこにまつわる力学を解き明かしている。板倉が本文中に触れているように、日本におけるエスニシティの問題としては、アイヌのほかに琉球も考察していく必要がある。なぜなら、琉球もまた、時代劇映画において舞台になり、琉球および琉球人がさまざまな形で表象されているからである。もちろん他にも多種多様な人種が日本にいるが、それらも含めて板倉の今後の研究が待たれるであろうし、我々の課題でもあるだろう。第6章の北田理惠による「バベルの映画」は、国語が単一言語である国民にとっては、興味深い問題であるとともに、想像しにくい問題でもあるといえる。おそらく、日本では「スイス映画」そのものになじみが薄いのではないだろうか。多言語(周知の通りスイスは四つの国語を持つ)国家で生まれ育ち、多言語を当たり前のものとして認識している人が、分析するのと、単一言語を前提に育ってきた人が分析するのでは、同じ問題を扱っても、おそらく違ったものになるであろう。本章の魅力は、「多言語」をもつ国の困難さを、その一部であるとはいえ、単一言語で育った日本の著者が分析しているところにある。魅力は表面的な問題ではない。日本語で書かれ、日本の読者がまず読むであろう本書において、日本語のみを母国語に育ったものには、どのような点が理解しづらいのかを十分踏まえたうえで、丁寧にスイスという国と、「スイス映画」を紹介しながら、さらに考察を披露してくれている。とりわけ「中立国」であるスイスが孕むナショナル・アイデンティティの複雑さと、そのための共有されるべき幻想に、映画が巧みに利用され、効果を奏していることは興味深い点である。この章を読んで想起されたのは、多くの国で映画製作がなされていることを鑑みれば、たとえば日本ではあまり公開されることのない多数の言語地区で独自に製作されている「インド映画」など、研究対象となる映画群が山積みであるということだ。第7章、松田英男の「戦火のユートピア」は、イギリス映画史の黄金期を代表する「イーリング・コメディ」に焦点を当てて、現代イギリス映画との関連まで言及されている。日本にいては、どうしてもアメリカ映画の覇権が強く、「イギリス映画」への印象が薄くなりがちである。手に入りやすいものは主に現代のイギリス映画であるだろう。本章では、「イーリング・コメディ」を分類し、これまでの先行研究を踏まえたうえで、その特徴や変遷を示している。その上で「イーリング・コメディ」の盛衰を社会的背景から分析し、現代イギリス映画の中に受け継がれている特徴をあらためて指摘している。「イーリング・コメディ」とはどういうものであるかという事以外に、イギリスの階級社会の構造を、そしてとりわけ「労働者」階級の問題を、映画を通じて知ることが可能であることを、本章は示しているように思われた。
第4部「教育と映画」は、第8章にあたる大澤浄の「映画教育運動成立史」のみである。「教育映画」論ではなく、映画がどのように教育に取り込まれていったのか、その運動においてどのような成果が得られ、何が問題のまま残ってしまったのか、1920年代の諸言説をもとに分析している。教育史からの視点だけではなく、現在でも同じだが、しばしば「運動」そのものを左右してしまう力を持つマス・メディアの問題をも踏まえて、多層的な考察のもとに、事業として政策として映画教育運動が構築されていったさまを描き出している。本章は、演劇と教育の問題を示唆しているようにもみえる。
本書を読み終わると、いくつかの疑問や問いかけが浮かんでくる。たとえば、第1部では東京や京阪神といった大都市をめぐるものであった。では、芸どころとして名高い都市である名古屋ではどうであったのだろうか。また「ニュース映画館」のような特定のものではなく、劇映画を上映する「映画館」そのものを考えるのなら、日本においてどのように定着したのか、それぞれの都市によって特徴が違うのかなど、考えてしまう。あるいは、第5章で挙げられた『水戸黄門海を渡る』において、アイヌが「日本人に包摂される」という構図は、映画の描写以上に繰り返される台詞においても明らかである。そのヒエラルキーを指摘するのは容易であるが、映画が上映された当時において、もしかしたら「日本人になりたかったアイヌ人」もいたのではないだろうかという疑問がわきあがってくる。時代が変化するにつれて、そう思っていた人もまた「アイヌ人」と「日本人」は違い、自分たちは無理やり日本人に同化させられたと意識を変えることもありえるため、この疑問は簡単に解決できるものではないことは承知であるが。
しかし、次々と小さな疑問や問いかけが浮かんでくることは、すなわちまだ研究される余地があることの証拠でもある。本書を手がかりに、さまざまな角度から映画をめぐる問題に着手していけるのではないだろうか。また、本書は232頁と、量的にも読みやすい。これから映画を研究しようと思う人にもとっつきやすく、本書を読んだ上で、膨大なる映画史に取り組むことも、一つの読み方であるだろう。そういう意味では、本書は映画を研究しているものにも、これから始めようと思うものにも、「シネマ・スタディーズの冒険」の始まりとして、意義深いものであるだろう。