日本映画学会会報第27号(2011年6月号)
●日本映画学会会員のみなさまへのお知らせ 第7回全国大会は2011年12月3日(土曜日)、京都大学にて開催されます。全国大会で個人口頭研究発表(25分発表+10分質疑応答)を御希望の方は本年9月19日までに600字程度の発表概要と仮題をお書きの上、日本映画学会事務局(cinema<atmark>art.mbox.media.kyoto-u.ac.jp [<atmark>に @を代入])までお申し込み下さい。そのさいe-mailの件名には「個人口頭研究発表」とお書き下さい。
●視点 映画学 ― 映像過剰時代における表象学(小林康夫他編『学問のすすめ』[筑摩書房、1998年]より転載)加藤幹郎(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)
1995年あたりから日本の国公立大学でもようやく映画学が成立しました。それから20年近く経つ今日、当時の映画学の課題が日本で続々とリサーチされ、分析され、解明されてきました。映画学の今後のさらなる展開をめざして、日本における過去の映画学のスタート地点を回想してみました。(加藤幹郎)
謎からの出発
かつてジェイムズ・ジョイスという名のノーベル賞級のモダニズム作家がいました。かれは20世紀初頭に、英国支配下のアイルランドに嫌気がさし、故国をあとに欧州を転々としながら、人類の夢と欲望の歴史をたった一日に凝縮した『ユリシーズ』や、英語を超えたジョイス語とよばれる混成語を駆使した『フィネガンズ・ウェイク』をものしました。この二冊の文字通り世紀の実験小説は、電話帳大のガイドブックなしにはおよそ理解しがたいところがあるために、出版後50年たらずで(つまり遅くとも1970年には)「ジョイス・インダストリー」の成立を見ます。「ジョイス・インダストリー」とは、ジョイス学者が出版する研究書(読書の手引き)とその購買者(しばしば未来のジョイス学者)たち、そして両者をむすぶ出版社とからなり、実質的には、大学と学会と文芸愛好家と呼ばれるインダストリアスな好事家たちのあいだで成り立っています。しかしそれがまがりなりにも「産業」と呼ばれるからには、「ジョイス・インダストリー」がそれなりの経済的、知的活況をていしていることはまちがいありません。それどころがこの「産業」の担い手たちは、稀代の謎かけ男(ジョイス)の残した謎を解くためなら喜んで生涯をささげることでしょう。
映画学の話をするのに、英文学ならぬ亡命文学の話からはじめたのにはわけがあります。ここにひとつの学問の成立をめぐる教訓が読みとれるからです。ジェイムズ・ジョイスはだれにも読めるというしろものではありません。たかが小説のくせに、素人にはちょっと手がだせないところがあります。巨大文学産業の一方の雄シェイクスピアにも同じことがいえます。たかが大衆演劇のくせに、400年ほどたったいまでは素人を寄せつけないところがあり、シェイクスピアについてまともに論じられるのは博士号取得者だけかのような印象すらあたえます。しかるに映画はだれにも理解可能である、と一般には思われています。映画を理解するのには電話帳のような厚さの指南書も、学会も大学も必要としない、普通そう思われています。なぜなら映画を見るのにだれもジョイスやシェイクスピアを読むときのような知識と熟練を要しないからだ、とひとは答えるでしょう。しかし、それではあなたの周囲の知識人にひとつ映画のことを訊いてみて下さい。最初の映画のひとつといわれているリュミエールのシネマトグラフに、なぜ『列車の到着』(1895年)という作品があるのかを(なぜ最初の映画は「列車の到着」を被写体にえらんだのかを)。あるいはアラン・ロブ=グリエの『去年マリエンバートで』(1961年)や鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)の謎を説明してくれるよう、あなたの先生に頼んでみるといいでしょう。SF映画『ブレードランナー』(1982年)とホロコースト(ユダヤ人絶滅計画)の関係を。あるいは一度はすてたはずの祖国にイタリアの実業家を引きつれて舞いもどった若き日のジョイスがダブリンに最初の常設映画館を開館しようと試みたとき(1909年)の勝算について訊いてみて下さい。これらの質問に正確に答えられるひとが、あなたの周囲にいったいどのくらいいるでしょうか。おそらくひとりもいないのではないでしょうか。そしてそれはわたしがあなたぐらいの年齢のときもそうでした。周囲のだれに訊いても、わたしが知りたかった映画の謎について答えてくれるひとはひとりもいませんでした。わたしが自分なりに映画について調べはじめ、考えはじめたのは、それからでした。
映画学の話をはじめるまえに、もうひとつ確認しておきたいことは、そもそも学問とは何だろうかということです。今日、学問とは、議論の共有性のうえにたった深い省察と広範な調査と粘りづよい実験のことです。あるひとの省察と調査と実験の結果(アウトプット)は、他のだれかのそれと比較検討されねばなりません。さもなければ、そのアウトプットが妥当なものかどうかはわからないからです。大学や学会のような専門家集団が機能するのは、そうした比較検証と議論がおこなわれる場所としてです。
そして専門家集団の議論と検証をへた学問的成果は、非専門家(一般市民)からなるより広い共同体に引き渡されねばなりません。かれらの引き合いなしには、いかなる学問的成果もほんとうに実をむすぶことはないでしょう。学問は一般市民からのアクセスに常時対応するかたちで知的ストックを形成せねばおよそ意味がないからです。今日では、そうした役割はインターネット上の電子図書館や各種のオンライン・ジャーナルが担っています。ひとつの専門家集団とそれ以外の集団(しばしば他の専門家集団)との垣根のひくい頻繁な交流こそ、社会の成員全体にとってよりよい幸福をもたらす近道なのです。
二つの闇
前置きがいささか長くなりましたが、それでは映画学とは何でしょうか。音楽学という言葉すらいまだ馴染みのうすい我が国において、映画学は徹頭徹尾誤解にさらされています。そこでここでは映画学の基本をできるだけ網羅的に紹介してみます。映画は、小説や演劇や絵画や写真同様、すぐれて文化的な表象メディアのひとつですから、映画学はいきおい表象装置の研究となります。表象とは何でしょうか。たとえばあなたが八重山地方の島のうえで海からの風を全身でうけとめたとしましょう。そのときあなたがそれを「さわやかな風」と形容したとすれば、それだけであなたは現実と表象の境界に生きていることになります。あなたが現実にうけとめた風を「さわやかな風」と表現したとき、あなたはすでに現実界から一歩表象界へと移行しています。一般に表象は現実に従属していると誤解されています。表象は現実の写し絵にすぎないと。しかしちょっと考えてみればわかることですが、言葉や映像などの表象メディアの媒介なしに、直接意識にのぼる現実知覚というものはありません。「メディア」(media)とは、「媒体」という意味ですが、メディアを経由することのない「直接的」「無媒介的な」(immediate)現実把握というものははたしてありうるでしょうか。あなたが海からの涼風を「さわやかな風」と表象したとき、はじめてそれは「さわやかな風」としてあなたに自覚されるのです。
さて映画を見ることは夢を見ることに似ています。ともに現実を材料として現実そっくりにつくられた非現実(表象)であり、奔放な想像力が試される場なのです。そしてそれが成立するためには、あたりをおしつつむ闇がなければなりません。じじつ映画は撮影のときと上映のときと、すくなくとも二度暗闇を必要とします。スタジオ(サウンド・ステージ)はいわば巨大な暗箱であり、外光は一度完全に閉めだされたうえで緻密な照明設計がほどこされます。(脚注1)撮影監督の「光よあれ」という命令なしには、いかなる映画的被造物の誕生も期待できないのです。 それから入念な現像処理ののちに完成したフィルムが映写機にかけられるとき、映画はもう一度暗闇を必要とします(直射日光のもとでは、映画は撮影も上映もままなりません)。映画学は映画のこの入口と出口のふたつの闇のあいだに成立するのです。
じっさい映画の製作から配給興行まで、映画学が対象とすべき領域は広大です。映画の製作プロセスの主要なものだけをひろいあげても、脚本、考証、美術 (脚注2)、衣装、照明、撮影、演出、録音、現像、編集からサウンドづくりまで、あるいはロケの手配から俳優やスタッフの食事の世話にいたるまで、映画は何十種類もの専門的仕事 (脚注3)と膨大なルーティーンとからなっています。映画は「総合芸術」であるまえに「総合仕事」であり、作品である以前にしばしば商品なのです。(脚注4)したがって映画学の下位区分一覧には、映画の美学、映画の文学、映画の社会学(脚注5)はいうにおよばず、映画の経済学(予算と収益配分)や映画の法学(契約や特許権)、そして映画の工学(キャメラ、録音器、照明機材)や映画の化学(フィルムの組成と現像(脚注6))までもふくまれます。
新しい発見を待つ領域
もちろん映画学の王道は文学同様、作品分析や作家研究や歴史研究にあります。映画生誕100年をむかえるあたりから、世界映画史をささえてきた第二世代が鬼籍にはいりはじめ、不世出の映画監督の製作資料がフィルム・アーカイヴ(映画収蔵庫)や大学院図書館におさめられはじめました 。(脚注7)近年の作家研究はそうした一次資料の利用によって目をみはる成果をあげています。
また映画は公的空間につどう大衆のために組織化されてきた娯楽装置ですから、とうぜん映画と観客の接点としての映画館の重要性にも照明があてられねばなりません。映画館に最初に冷房が装備されたのはいつなのか、そしてそのことによって観客の欲望はどのように組織化されたのか、そうした映画館の物質的条件を近年の映画学は文化史的観点から系統的に研究しはじめました。(脚注8)
映画はインタラクティヴなインターネットとはちがって、一枚のスクリーンを介して不特定多数の人間に一方的にメッセージをつたえます。それゆえ情緒的政治装置(あるいはプロパガンダ)としての映画の構造と歴史の分析もおこなわれています。じっさいヒトラーやローズヴェルトや東条は映画をどのように戦争に利用したのでしょうか。(脚注9) 映画はまた映像という「共通言語」を駆使するにもかかわらず、それぞれの文化的、政治的風土に応じて国民国家の成熟におおきな役割をはたしてきたのですから、映画の歴史はしばしば各国映画文化史のかたちをとることもできます。(脚注10)あるいは映画はすぐれた感情教育装置ですから(観客はコメディ映画にわらい、メロドラマ映画になき、恐怖映画に背筋をさむくするので)、それが観客の意識と無意識にどのような作用をおよぼすのか、映画学者は精神分析学的観点やジェンダー論の観点から(脚注11)、あるいは大衆のイデオロギー(支配的通念)と検閲の観点から研究しています。映画独自の編集法が大衆の物の考え方にあたえた影響もはかりしれません。ジェイムズ・ジョイスの実験小説『ユリシーズ』も映画話法の影響ぬきには考えられないのです。
この20年ほどで大きな成果をあげたのが初期映画研究です。わずか100年ほどまえの事実が、こと映画史にかんしては長いあいだ不明なまま放置されてきました。今日あたりまえの顔をして通用している「映画の文法」とよばれる映画づくりの種々の約束事は、映画黎明期にどのような試行錯誤のもとに生まれたのでしょうか。(脚注12)
ところで、いかなる難渋な映画学者も、またいかなる好戦的映画批評家も認めざるをえない映画の共通前提事項があります。それは映画は理屈抜きにおもしろいということです。そしてこの埋屈抜きの(はずの)おもしろさが、その背後でいかなる制度によって構造化されているかということを調べることに、映画理論家の偽わらざる情熱があります。(脚注13)そしてそのおもしろさはとどのつまり映画の荒唐無稽さにつきるのですが、その荒唐無稽さを荒唐無稽さとしてそのまま引き受け、いかなる還元主義の罠からも無縁なすぐれた映画批評家が日本にいます。蓮實重彦氏(元東京大学総長)です。彼の著書は、世界のあらゆる映画学者がしばしば立ちもどってゆかねばならない学問の情熱の出発点でしょう。(脚注14)
映画学は人文社会科学における新しい領域です。映画学にかぎらず、新しい学問を担う者のメリットは、広大な研究領域が手つかずのままのこされているところにあります。先行研究が山とあるジョイスやシェイクスピアで、今後、世界を震撼させるだけの新しい発見がなされるかどうか心もとないかぎりですが、こと映画学にかんするかぎり、若手研究者が力を発揮する十分な余地がのこされています。そして今日のような映像メディアが氾濫する時代に、まともな映像リテラシー(映像を読み解く力)の公教育がなにひとつなされていない映像過剰時代を生きるこどもたちに、真の映像教育をほどこすこともまたこれからの映画学者たちの仕事の一部でしょう。
大衆娯楽の一部として発達した小説や演劇は、その長い創作と受容の歴史ゆえに学問として研究されてきました。新参の大衆娯楽としてこの100年ほど看過されてきた映画もまた近い将来、テレヴィやコンピュータ・ゲームにその遺産をゆずりわたしたのちには、それらの先行芸術として映像表象文化の王と讃えられるときがやってくることでしょう。
脚注
1)映画は光の彫刻である。テレビ用のヴィデオ・キャメラとテープがつくりだす映像は平板な光のレリーフにすぎないが、映画用のシネ・キャメラとフィルム(とりわけ1950年代まで使用されていた瞬燃性のナイトレイト・フィルム)は光の繊細な肌理を立体的に創造する。撮影監督のまばゆいばかりの仕事ぶりついてはD・シェファー、L・サルヴァート共著『マスターズ・オブ・ライト』(高間賢治訳、フィルムアート社)とヴィデオ版『ヴィジョンズ・オブ・ライト』(イメージフォーラム)を参照のこと。
2)美術監督の絢爛たる仕事については、Beverly Heisner, Hollywood Art : Art Direction in the Days of the Great Studio (London: MacFarland, 1990)を参照のこと。
3)これにかんする最適の入門書はジェイムズ・モナコ著『映画の教科書』(岩本憲児他訳、フィルムアート社)だろう。
4)ジェイスン・E・スクワイヤ編『映画ビジネス 現在と未来』(小田切慎平訳、晶文社)を参照のこと。
5)構造主義的方法がモダニズム映画に試されるアニー・ゴルドマン著『映画社会学』(合同出版)、および近代の映画受容史を考察する長谷正人他編『映画の社会学』(青弓社)を、また映画の化学については石川英輔著『総天然色への一世紀』(青土社)を参照のこと。
6)映画の法学については内藤篤著『ハリウッド・パワーゲーム アメリカ映画産業の「法と経済」』(TBSブリタニカ)を、映画の工学については、映画の技術と文体の関係を精査する画期的リサーチBarry Salt, Film Style & Technology: History & Analysis, 2nd Expanded Edition (London: Starword, 1992)を参照のこと。
7)たとえばUCLA (カリフォルニア大学ロサンジェルス校)収蔵のプレストン・スタージェス・コレクンョンやジャン・ルノワール・コレクション、京都文化博物館収蔵の伊藤大輔コレクションなど。なお伊藤大輔監督については佐伯知紀編『映画読本 伊藤大輔』(フィルムアート社)を、ジャン・ルノワール監督については東京国立近代美術館フィルムセンター編「ジャン・ルノワール、映画のすべて」(朝日新聞社)を、プレストン・スタージェス監督については加藤幹郎著『映画 視線のポリティクス』(筑摩書房)を参照のこと。また作家研究を代表するものとしては、デイヴィッド・ボードウェル著、杉山昭夫訳『小津安二郎 映画の詩学』(青土社)がある。
8)Douglas Gomery, Shared Pleasure : A History of Movie Presentation in the United States (Wisconsin : The University of Wisconsin Press, 1992) ; Kato Mikiro, “A History of Movie Theaters and Audiences in Postwar Kyoto, the Capital of Japanese Cinema,” in CineMagaziNet! (Autumn 1996) (http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/NO1/NO1HOME.HTM).
9)ピーター・B・ハーイ著『帝国の銀幕』(名古屋大学出版会)、ジークフリート・クラカウアー著『カリガリからヒトラーヘ』(丸尾定訳、みすず書房)、ならびにクラカウアーが避けてとおった部分を補完する瀬川裕司「ナチス時代のドイツ娯楽映画」(『ヘルメス』1993年、第41号、第42号)を参照のこと。
10)ナテス・ドイツ占領下のフランス人によって執筆構想されたジョルジュ・サドゥール著『世界映画全史』(国書刊行会)は、無意識的に世界映画全史におけるフランス映画の優位を説くことになる。その他、勃興する東アジア圏の映画を論じた四方田犬彦著『電影風雲』(白水社)や古典的ハリウッド映画を論じる加藤幹郎著『映画ジャンル論』(平凡社)、あるいは田中純一郎著『日本映画発達史』(中公文庫)を参照のこと。
11)クリスチャン・メッツ著『映画と精神分析』(鹿島茂訳、白水社)、およびE・アン・カプラン編『フィルム・ノワールの女たち』(水田宗子訳、田畑書店)を参照のこと。
12)Thomas Elsaesser ed., Early Cinema : Space-Frame-Narative (London : BFI Publishing, 1990)や小松弘著『起源の映画』(青土社)を参照のこと。
13)斎藤綾子他編『新映画理論集成』第1巻、第2巻(フィルムアート社)を参照のこと。
14)蓮實重彦著『映像の詩学』(筑摩書房)、『映画の神話学』(ちくま文庫)などを参照のこと。
●新入会員紹介
- 上坂保仁(富士常葉大学総合経営学部専任講師)教育学、教育思想・哲学、映画と教育学
- 佐藤圭一郎(京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程)石田民三研究
- デン ジュン(名古屋大学国際言語文化研究科多元文化専攻博士後期課程)台湾映画論/文学と映画学
- 濱側 桃(神戸女子大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程)映画学
- 矢田陽子(上智大学イスパニア語学科・早稲田大学文学部スペイン語非常勤講師、NHKバイリンガルセンター所属専任報道通訳・映像翻訳)映像記号学、翻訳学
- 山口和彦(東京学芸大学教育学部准教授)アメリカ文学・文化、現代アメリカ小説