日本映画学会会報第26号(2011年2月号)
●学会誌『映画研究』第5号の編集を終えて杉野健太郎(信州大学人文学部准教授)
日本映画学会学会誌『映画研究』編集委員会のまとめ役を務めさせていただいている杉野と申します。周知の通り、レフェリー制学術誌である『映画研究』の審査は、審査の公平性、ならびに映画研究という学問の発展・成熟に寄与できる執筆者の涵養、という二つのシンプルな理念に則って行っております。この公平性という理念の現実化の具体的方策として、投稿規程にあります通り匿名審査を行っております。また、執筆者の育成ならびに論文の質の向上の一助として、審査結果にコメントを付しております。
次に、第5号の審査についてです。本号には11編の投稿があり、最終的に5編が掲載とあいなりました。審査手続きは過去の4号とほぼ同様ですが、前回ご報告申し上げました通り、第4号の審査から正式に再審査を導入いたしました。審査は、次のような過程を経ます。一定の期間を経て編集委員がそれぞれの査読結果を持ち寄り、査読結果において評価が割れた論文に関しては合議期間においてさらに慎重に討議の上投票で、全投稿論文の審査結果を慎重に作成します。投稿規程にございます通り、審査の結果は、「9月中旬頃」に投稿者に通知されます。今回は情報公開の範囲を拡げてお知らせ申し上げますれば、委員会の審査結果ならびに各委員の査読結果において現在用いている評価点は次の4段階です。
4点=掲載します
3点=修正を施した最終版を掲載します
2点=再審査します
1点=掲載不可
ちなみに、今号も含めた過去5号において、審査結果において4点がついた論文はいまだかつてありません。これは、ささいなミスや誤字脱字が見つからなかった論文はないということを主に意味します。また、各委員の査読段階での評価点ポイントの開きは、最大1ポイントです。委員会の審査結果はコメントとともに投稿者に通知されますが、ちなみに、今回のコメントは、全11論文合わせてほぼ2万文字、1論文平均1800文字程度でした。
「9月中旬頃」の通知以降ほぼ一ヶ月間は、脱稿準備期間です。3点以上の評価を受けた論文の執筆者は脱稿用の最終版ファイルの作成を行い、2点の評価を受けた論文の執筆者は再審査用のファイルを作成します。当然のことながら、再審査対象論文は、再審査を受け、委員全員の投票の上で採否が決定します。掲載論文がすべてそろったところで、日本映画学会賞の選考に移ります。今回は、賞の選考過程において2位以下の票が大きく割れましたが、それは、再審査を受けた論文が修正後格段の進歩を見せた結果でした。
ことあるごとに申し上げておりますが、日本映画学会学会誌『映画研究』は、本学会および日本における映画学の発展とともに発展向上していきたいと願っております。今回も、賞の選考まで含めると、審査が始まってから終わるまでに3ヵ月以上かかっております。編集委員のみなさま、そして連絡を担当していただいている松田事務局長および印刷実務ご担当の井上常任理事、ご苦労さまでした。ただ、みなさまの労苦にふさわしい学会誌になってきたという充実感と誇りも感じております。論文と対話しながら多くのことを学ばせていただいたというのが編集委員会一同の偽らざる感想です。個人的には、歴史的猛暑の8月に冷房をきかせた部屋を暗くして映画を見て論文を読んでばかりいたというのが2010年夏に心に深く刻印された記憶です。
ありていに申しまして、掲載論文と同じ映画や同じテーマを扱ってそれ以上の論文を書くことは並大抵のことではないと思われます。しかし、これらの論文から多くを学びそれを乗り越える研究者が次々に登場するという輝かしい近未来を祈念しながら、次号にも数多くの投稿を心よりお待ち申し上げております。
●第3回(2010年度)日本映画学会賞の選考経過について杉野健太郎(信州大学人文学部准教授)
日本映画学会賞の選考を常任理事会から委嘱されております編集委員会を代表して、第3回(2010年度)日本映画学会賞の選考の経過をお知らせ申し上げます。日本映画学会賞とは、学会誌『映画研究』投稿論文のなかで「傑出した学問的成果を示した論文」に与えられる賞です。今回の選考対象論文は、『映画研究』第5号に掲載されました5編です。
過去二回と同様に、予め決めておいた二つの手続きによって選考を行いました。第一の手続きは、最優秀論文を選ぶプロセスです。第二の手続きはその最優秀論文が日本映画学会賞にふさわしいかどうかの決定です。両手続きとも、審議を経た上での投票が具体的決定方法です。もちろん、日本映画学会学会誌『映画研究』と同様に匿名審査ですので、各論文の執筆者は伏せられたまま、論文タイトルによって選考されます。
このプロセスに則り、まず、掲載論文の学問的成果に関してさらに審議した後に、ポイント(1位5点、2位3点)を付加して1位と2位論文に投票することによって最優秀論文を決定しました。最優秀論文は、査読の段階から評価が高かった「John Ford’s Monument Valley Revisited: A New Perspective on the Quintessential American Landscape in The Searchers」(以下、「『捜索者』論」と略記)が他を引き離して選ばれました。一方、2位論文は点が大きく割れました。第二の手続き、その最優秀論文が日本映画学会賞にふさわしいかどうかの決定に関して申し上げれば、同論文は投票の結果満票で日本映画学会賞に選出されました。
ジョン・フォード(1894-1973)監督の『捜索者』(1956)の内容をごく簡単に表すれば、「人種問題を扱った西部劇映画」と言えるでしょう。やや単純な二分法で恐縮ですが、『捜索者』論は、モニュメント・ヴァレーという空間において、この内容(what)がどのように(how)映像化されているかを扱った論文であると概括できるでしょう。論文の詳しい内容はお読みいただくとしまして、委員会では、先行研究に過依存ではないか、モニュメント・ヴァレーという空間の文化的研究と『捜索者』のテクスト研究との間のバランスがいささか悪く連係がスムーズではないのではないかという点などが指摘されました。しかし、先行研究が比較的厚いジョン・フォード研究において先行研究を着実に踏まえた上で自分独自の結論を構築し、しかもそれを的確な英語(過去の『映画研究』に掲載された英語論文のなかでも、一、二を争う達者な英語表現力)によって表現したことが一定以上の評価を集め、最終的には投票の結果満票で賞に選出されました。
さて、賞選考過程において、2位論文に関しては票が大きく割れたことが如実に物語っているように、『映画研究』第5号に掲載された論文はいずれ劣らぬ力作でした。論文を査読しながら、執筆者たちの将来への期待が膨らむばかりであったことを正直に申し添えておきます。もとより本学会の多様な論文の成果を判断することには困難がつきまとい期間等にも限りがあるなど様々な制約がございますが、編集委員会といたしましては、全力を尽くして、また何より公平かつ公正に、選考をいたしていく所存です。学会誌掲載のみならず本賞を目指して投稿されることを祈念いたしております。
●書評 加藤幹郎監修、杉野健太郎編著『映画とネイション(映画学叢書)』(ミネルヴァ書房、2010年)
大石和久(北海学園大学人文学部教授)
『映画学叢書』は「映画学」の日本における初の本格的叢書であり、本書『映画とネイション』は『映画学叢書』の先陣を切って発行されたその第1冊目である。では、「映画学」とはなにか。本叢書監修の加藤幹郎によれば、それは、映画産業を高度に発達させたアメリカ合衆国において唯一例外的に誕生した「映画の固有性と他領域との関連をめぐる精緻な議論と考察」である(ⅱ)[註:( )内の数字は本書のページ数を示す]。この映画学が今、日本を新たな舞台に、単なるその模倣以上の学問的実践として根付きつつある。本書を実際にご覧いただきたい。本書には映画学の実に多様で、斬新な実践の成果が掲載されているのが分かるだろう。
さて、すでにふれたように、本書「映画とネイション」は『映画学叢書』の第一冊目であるが、本書はそれにふさわしい内容となっている、と思われる。それは加藤の宣言する本叢書の目的と関係する。加藤は、本叢書の目的は「映画が人類の歴史においていかに重要な機能を果たし、それゆえ人間の実存にいかに密接に関わるものであるかを論証する」(ⅲ)ことにあると言う。また、加藤はそれに以下のように言い添える。「社会と呼ばれる制度的人間共同体がいかに映画によって刷新され、いかに個人の局限された意識が刷新されるのか、映画の重層的な意味と構造と歴史を探究することによって論証する」(同上)、と。とすれば、「映画とネイション」の関係こそ、本叢書において問い質さなければならない最重要のテーマの一つであることは、疑い得ない。本書の編著者である杉野健太郎がベネディクト・アンダーソンを引用しながら述べるように、ネイション(国民、国家)とは客観的実在物ではなく、「イメージとして心の中に想像された政治的共同体an imagined political community」(ⅳ)である。ならば、1世紀以上にわたって現在まで、まさしくイメージ(すなわち映像)としてネイション像を生み出し、流通させてきたフィルム=シネマがどうして、「想像の共同体」の創設へ寄与しなかったことがあろうか。アンダーソン自身はネイションの誕生を論じるにあたって言語メディア(新聞、小説)などを主に取り上げるだけで映画についてふれることがなかったにせよ、である。杉野が言う通り、「映像および映画が、20世紀のネイションおよびナショナリズムと大きな関わりがあることは否定しようもない」(ⅴ)。映画なるイメージによってネイション像は生み出され、個人は自らの内にネイションとしての意識ないしはナショナリズムを新たに獲得する。このように映画とネイションの関係にこそ、映画によって「制度的人間共同体」が「刷新され」、「個人の局限された意識」が「刷新される」ことの典型的な実例を見ることができるのである。
本書はまずは日本というネイションの考察から、幕を開ける。大傍正規の「届かないメロディ――日独合作映画『新しき土』の映画音楽に見る山田耕筰の理想と現実」(第1章)は、明治以降、近代化してゆく日本なるネイションの形成に密接に結びついていた洋楽に焦点を当てている。大傍は、具体的には日本における洋楽受容において大きな役割を果たした山田耕筰を取り上げ、山田が映画音楽に対していかなる理想を抱いており、また現実的にそれが挫折せざるを得なかったかを、山田耕筰の手稿譜や歌詞原稿、コンテなど原史料に当たりながら、詳細に検証してゆく。ソヴィエト・トーキー理論の日本におけるいち早い受容者であった山田が、『新しき土』(1937)の中で試みたその「対位法」的音楽は、監督アーノルド・ファンクのオリエンタリズムによって削除されてしまうのである(15-16)。また、大傍論文はそのように削除された音楽を、原史料に基づき可聴化する試みでもあったことも述べておきたい。山田が追い求めた理想の音楽は、いくら映画から削られたとしても「手稿譜の中に美しい痕跡として現存している」(23)。大傍論文は、その音楽を蘇らせる、いわば紙上でのコンサートでもあるのである。
御園生涼子「幼年期の呼び声――木下惠介『二十四の瞳』における音楽・母性・ナショナリズム」(第2章)でも、日本映画における映画音楽が取り上げられる。それはまさしく「国民映画(ナショナル・シネマ)」の名にふさわしい『二十四の瞳』(1954)における「唱歌」である。「唱歌」では画一的なイメージを帯びた「郷土」が歌われることによって、それは近代日本に一つの共同体としての輪郭を与えるためのナショナリズム的道具として機能した。『二十四の瞳』において歌われる「唱歌」も単声合唱の「均質的な音声」によってそのような郷土イメージを強化する(46-47)。ただし、それが小豆島という「神話」的かつ「非歴史的」起源の風景と重ね合わされたとき、その歴史性は忘却されてゆく(50)。『二十四の瞳』に見られるこのようなイデオロギー性は、1950年代、新たな政治体制の下、日本国民が戦争のトラウマを「起源」の物語として捉え直すことで克服し、自らの輪郭を改めて確立しようとした、戦後日本におけるナショナリズムの再構築をあらわすものである。また、御園生はこのような唱歌の郷土イメージが大石先生という「母性」と結びついている、とジェンダーの視点から指摘するのを忘れない。そのジェンダー表象は反戦と愛国の間を揺れ動く戦後日本のナショナル・アイデンティティを反映する、と御園生は言う(57)。御園生は多くの論者が指摘してきた『二十四の瞳』と戦後日本のナショナリズムとの結び付きという問題に対して「唱歌」という新たな視点から光を当て直し、一つの新たな解答を与えたと言えよう。
山本佳樹「ナチ「天才映画」のなかのシラー――プロパガンダ映画のアンビヴァレンス」(第3章)は、ドイツのナチ時代に制作されたプロパガンダ映画を取り上げている。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの徹底的な「統制」化、プロパガンダ映画として「天才映画」と呼ばれる伝記ものが数本制作される。山本が扱う『フリードリヒ・シラー――ある天才の勝利』(1940)はそれを代表する映画である。「天才映画」には「その口当たりのよい娯楽性の背後に、ドイツ民族の文化遺産に観客の目を向けさせ、天才賛美によって指導者原理の正当性を観客の意識に浸透させる」意図があったのであり、「天才映画」はその点で「ナチによるひとつの「国民(ネイション)」の形成を促そうとするジャンル」であった(71)。ただし、山本が注目するのは、この種のプロパガンダ映画である『フリードリヒ・シラー――ある天才の勝利』がゲッベルスによる統制を越えて、いわば真逆に機能し、ナチ批判の映画として観客たちに解釈されたことである。それが山本の言うこのプロパガンダ映画の「アンビヴァレンス」である。山本はこう指摘する。「映画そのものが、夾雑物の混入を受けやすく、「権力―制作―観客」といった垂直な制度に簡単には飼い慣らされないような、根源的な力を備えたミディアムであることを、あらためて認識する必要があるだろう」(85)。この山本の指摘は、権力の側に一方的に回収されない映画の可能性を説いている点で重要である。
佐藤元状「アンダーソンの『ifもしも・・・』における抵抗とコラージュの美学――叙事映画と帝国の表象」(第4章)では、リンゼイ・アンダーソン監督『ifもしも・・・』(1968)がもつブレヒト的な「異化効果」が分析される。コリン・マッケイブは、ジャン=リュック・ゴダールの映画に、「形式的分割」(映画の構成要素の分割)によって観客を政治的覚醒へと導いてゆくような映画的「異化効果」の可能性をみた。そのような「異化効果」を特徴とする映画が「叙事映画」である。佐藤は『ifもしも・・・』におけるコラージュの使用法に、この映画が「叙事映画」であることの可能性を見出す。この点に佐藤論文の独自性がある。佐藤の言うコラージュとは文字通り、登場人物の部屋に飾られた写真や新聞の切り抜きのコラージュであるし、また、カラーフィルムにモンタージュされたモノクロフィルムを指す「時間的な原理」に基づくコラージュであったりもする(109)。この「コラージュの美学」は、『ifもしも・・・』が、イギリス映画における『アラビアのロレンス』(1962)以降のポスト「帝国映画」的系譜に属していることを鮮明に浮かび上がらせるだろう。『ifもしも・・・』における写真や新聞の切り抜きのコラージュが示す「世界史規模での複数の闘争」(108)は、かつての帝国(イギリス)や新たな帝国(アメリカ)の表象であることを越え出て、「新しい総合的なマルクス主義的ヴィジョン」(115)を人々に投げかけることによって、彼らを新たな連帯へと導いてゆくのである。
越川芳明「キューバ革命と映画――トマス・グティエレス・アレアを中心に」(第5章)はキューバ革命後制作された「啓蒙主義的」映画作品について、トマス・グティエレス・アレア監督映画をメインに考察している。ただし、アレア監督の映画が作ったのは単純なプロパガンダ映画ではなく、革命への「クリエイティブな批判」も含んだ、映画を観る立場によって「政治・社会的な意味が正反対にもとれるような」「多義的」映画であった(121)。越川はこのことをアレアが社会の周縁に生きる者――黒人、女性、同性愛者――をどう描いているかによって実証的に論じている。一つだけ例を挙げよう。たとえば、『苺とチョコレート』(1993)ラスト、男性の登場人物(ダビドとディエゴ)同士が抱擁し合う場面は一見すると、男同士の友情表現のように見える。しかしそれは、それは当時同性愛への偏見が色濃く残っていたキューバ社会において、男同士のセックスを「換喩」的にあらわしたぎりぎりの表現であったとも解釈できるのである(145)。このような論考は、日本では取り上げられることの少ないキューバ映画についてであるだけに、貴重である。
梅本和弘「アメリカ初期映画におけるアメリカニゼーションをめぐって」(第6章)は、アメリカ初期映画におけるアメリカニゼーション(アメリカ化)の研究を、近年の研究動向を踏まえつつ概観するものである。かつての映画史においては、初期アメリカ映画は「普遍言語」(156)として、民族集団に関係なく、民主主義的に労働者階級に属する移民観客たちへと働きかけ、彼らを均質なアメリカ人となることを促した、とみなされてきた。このようなアメリカ初期映画に対する捉え方は、1970年以降の映画学によって批判的に再検討されることになる。「階級やジェンダーやエスニシティや人種という視点」から捉え直すならば、アメリカ初期映画の観客のアメリカ化はそのように単純なものではないのである(172)。エスニック・コミュニティの役割について盛んに取り上げるようになった1990年以降の初期映画研究も、このような映画史の見直しに基づいている。初期映画の移民観客は単に受動的にアメリカ化されたのではなく、エスニック・コミュニティの中に位置する劇場で映画を鑑賞することを通して、自ら主体的にエスニック・アイデンティティを再確認し、それを保ち続けてもいたのである。梅本の指摘通り、アメリカ初期映画におけるアメリカニゼーションは「複雑で多層的なもの」なのである(同上)。
塚田幸光「ナショナル/ファミリー・ポートレイト――『パリ、テキサス』とロード・ムーヴィーの政治学」(第7章)は、80年代以降、アメリカ映画においてロード表象が、ファミリーへと接続された事態を政治学的に読み解く論考である。かつてアメリカ映画が描くロードは「死の匂い」に満ちていた(180)。フィルム・ノワールしかり、ニューシネマしかりである。しかし、ロード・ムーヴィーは、80年代のレーガンの時代にアメリカがベトナム戦争の「トラウマ」から回復するための「和解」のナラティヴが発動されたとき、ファミリーの「和解」を描くようになる(188)。このようして「和解」にいたったファミリーとはしたがって、「アメリカの肖像」であり、ナショナル・イメージである。ヴィム・ヴェンダース監督『パリ、テキサス』(1984)も80年代以降のロード・ムーヴィーの系譜に忠実に、ファミリーの「和解」を描いているように見える。しかしながら、この映画は、ファミリーがフレーム内のメディア・イメージでしかないことを浮き彫りにしながら、アメリカが「イメージの帝国」でしかないことを暴露する(202)。この意味において、塚田論文は『パリ、テキサス』が政治的に「脱構築」的であることを指摘する論考である、と言ってもいいだろう。
本書の掉尾を飾るのは、本書の編著者である杉野健太郎「ドリーミング・アメリカ――『フィールド・オブ・ドリームス』とネイション」(第8章)である。杉野は「共時的」にではなく、「通時的」に『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)の歴史性を考察することで、この映画テクスト読解の新たな可能性を探る(209-210)。『フィールド・オブ・ドリームス』を通時的に考察するならば、『国民の創生』(1915)が南北戦争によって分裂したアメリカというネイションを表象的に修復したように、この映画も1960年代に「公民権運動」と「若者の反抗」によってアメリカというネイションにもたらされた亀裂を表象的に再建するものと捉えることができるだろう。というのも、この映画において、登場人物たちがベースボールに託したパーソナルな夢は、自由と人権という「アメリカ建国の理念」、すなわち原義における「アメリカン・ドリーム」というパブリックな夢を堅守する仕方で実現されるからである(219)。さらに、杉野はこの映画を「ドリーミング」をキーワードに考察する。この映画は、そもそも主人公レイのドリーミング(幻想)から成る「心理的映画」である(227)。レイの見るベースボールはレイのドリーミングの産物である。杉野はベースボールのメカニズムは人々が夢をそこに託するドリーミングにあり、またアメリカというネイションも「想像の共同体」として、ドリーミング(すなわち「アメリカニズム」)をその本質としてもつ、と述べる(226)。さらに杉野は、この映画の中でレイのドリーミングは現実と一線を画されて表象されていることを指摘する。それは野球場の線として具現化されており、その線はハリウッドの古典期の「モラルの一線」および「現実/非現実の一線」(つまりイマジナリー・ライン)をも比喩的にあらわしているとも言う(233-235)。それゆえ「ドリーミングというメカニズムは・・・・・・アメリカン・ネイション、ベースボール、そしてシネマの共通のメカニズムなのであり、この三者は協働関係にある」(237)。また、このドリーミングはネイションのみならず、男性主体も再構築されるだろう(中年の危機に陥った主人公レイは、ドリーミングによって想像的に若さを手に入れる)。以上から、杉野は『フィールド・オブ・ドリームス』が20世紀後半を代表する「ナショナル・ナラティヴ」であると指摘し(246)、本論文を締めくくる。
また、本書には末尾に小野智恵執筆の「映画用語集」が掲載されており、本書理解のよき助けをしてくれている。
上に見てきたように、本書は映画とネイションをめぐって、日本から始まり、ドイツ、イギリス、キューバを経て、アメリカと幅広く世界に目配せしている。このような規模で映画とネイションの関係を探る本書の試みは、おそらく本邦初であろう。本書の各論者は、映画とネイションという主題が孕んでいた大きな問題に対して、世界の様々な映画を具体的な対象としながら、それぞれのやり方で、実に多様で斬新な仕方で解答を出してきた。それゆえに、各論文間に不統一性を見る向きもあるかもしれないが、むしろそこには多様性が実現されゆく様を肯定的に見るべきである。本書は、日本における映画とネイション研究の、時代を画するいわばマイルストーンとなるだろう。その意味で、本書は、そのような研究に従事する者にとっては――賛同するにせよ、批判するにせよ――、ジャン=ミシェル・フロドンの『映画と国民国家』と並んで、参照し、向かい合うべき貴重な一冊となった、と言えるだろう。
●書評 大野真著『深読み映画論 ― 「暗い日曜日」の記憶』(春風社、2009年)
鈴木英明(山脇学園短期大学准教授)
暗闇に浮かぶスクリーンを見つめながら、あるいは上映直後の明るみの中で、言葉ではない何かが打ち震え、その震えを言葉に伝えようとしている。素朴に「感動」と呼ばれるこうした経験は、その「何か」に言葉が共振することではじめて、不明瞭な呟きや吐息としてまず表現される。人間の非言語的経験も言葉と無関係ではありえない。人間は「言葉によって生かされている」(280)のである。本書を貫いているのは、「言葉は存在の住処である」と語ったハイデガーを思わせもする、以上のような透徹した言語観である。私たちの映画体験は、狭義の「文学」体験と変わるところはない。それゆえ、映画は広義の「文学」である。著者の大野氏はそう断言する。本書を読む経験とは、「映画は文学である」という一見挑発的な命題の真っ当さを、著者の圧倒的な筆力によって感得させられるプロセスにほかならない。
本書を一読してまず印象に残るのは、ワンシーン、ワンカットからフィルムの核心をすくい上げる際の、著者の手さばきの鮮やかさである。『暗い日曜日』(ロルフ・シューベル監督・1999年)を読む章では、ヒロインがその愛人を荷台に乗せて自転車を走らせるシーンの輝きが指摘される。この二人は、三角関係にあるもう一人の男の自殺を阻止しようと必死になって男を捜しており、著者が特に注目するのは、「大きな青い空」と「無数の千切れ雲」(36)を背景に、ドナウ川に架かる橋の上を自転車で疾走する二人をカメラが真横から捉えた「奇蹟のように美しい」(36)カットである。このカットは、たんに審美的に特権化されているわけではない。不安定な三角関係にある男女三名が、自分たちの運命を「悦ばしい肯定を以て受け入れようとしている事実」(37)を物語っているという点において、このカットは物語上の重要な転換点でもあるからだ。重要なのは、こうした短いカット、あるいは細部に敏感に反応する著者の感性が、フィルム全体の構造を把握する知性と相補的な関係にあるということだ。たとえば、類似したシーンがシンメトリックに二回ずつ反復される『暗い日曜日』の「枠構造」を取り出す際にも、そうした知性が躍動している。著者は、ピアニストが拳銃自殺を行う場面のトラッキング・ショットとズーム・インの効果を詳細に分析し、銃声の鳴り響くタイミングの適切さを0.5秒単位で確認するなどして、フィルムの細部、断片の強度を語る。その著者の言葉自体に強度を与えているのは、フィルム全体の構造を捉えようとする知性の働きである。
同様の事態は、『ハウルの動く城』(宮崎駿監督・2004年)を解読する章にも見出される。夕暮れ時、路面電車に乗ったヒロインの少女ソフィーが「電車の後部乗降口から身を乗り出すようにして立ち、遠ざかる街並と空を見つめている」(143)という短いカットである。著者は、ソフィーが見つめている風景について、「全編を通じて最も美しい背景処理」(143)であると述べると同時に、このときソフィーの左手が(「自然な構図」に逆らって)自身の左の乳房を押さえていることを見逃さない。ソフィーのこのちょっとした所作の意味は、このカットの少し前に見られた類似するカット、すなわち、「石のような表情」のソフィーが、街の中心部に向かって走る路面電車の後部乗降口に立っているカットと比較することで明らかにされる。二つの類似したカットのあいだに介在しているのは、兵士たちに絡まれているところを美青年の魔法使いハウルに助けられ、ハウルに手を取られたまま空中を歩行するというソフィーの「夢のような」体験である。したがって、この体験の後に来る件のカットにおいて「ソフィーが左手で「押さえて」いるもの、それは自らの乳房から今まさに滲み、溢れ、ほとばしり出ようとしている「恋への憧れ」に他ならない」(144)。そして、「恋への憧れ」を押さえるソフィーの左手は、彼女が荒地の魔女によって老婆に姿を変えられたのは、恋あるいは性を否認するソフィー自身の(意識されていない)願望の実現であったという解釈を導くことにもなるだろう。このカットにおける風景がとりわけ美しく思えるのは、出会いの予兆を感じると同時に否認しようとして揺れ動くソフィー、そうした彼女の目を通して私たちが風景を見ているからなのだ。つまり、この風景の異様な美しさは、ソフィーの左手の所作という細部と、この細部に意味を与える物語の大きな流れによって生み出されているということである。フィルムの細部を物語全体の構造と絡めて「味わい」読み解いていく著者の言葉に触れ、あたかもそのフィルムを見ているかのような思いに囚われることは、本書を読む醍醐味の一つである。
しかし、本書の最も大きな魅力は、「存在の哀しみ」とも「存在の気疎さ」ともいわれる表象の臨界点に、フィルム読解の根本が据えられているところにある。『ハウルの動く城』の先ほど取りあげたカットについて、著者がさらに何を言っているのか見てみよう。私たちの悩みや苦しみは、「名付け」られ「意識化」されることで多少なりとも緩和される。だが、どれほど名付けようとしても名付けることのできない「根源的な苦痛」が、私たちの内奥に残る。言語化できない、解決しようのない、「ある意味でどんな人間にも「平等」な、この世に生れ落ちて存在すること自体の苦痛と悲哀」(150)を、著者は「存在そのものの哀しみ」あるいは「存在の根の孤独」と呼んでいる。左手で胸に手を当てて遠ざかる風景を見つめるソフィーを根本で捉えていたのは、この「存在の根の孤独」であったのではないか、そう著者は語る。そして、この映画のテーマは「少女になること」であると指摘する斎藤環の『ハウル』論(「キスのある風景」)を援用しつつ、ソフィーのこの「根の孤独」に、宮崎駿のそれが共鳴、共振しているのだと説く。解消しようのない「根の孤独」、「存在の哀しみ」を抱える私たちは、他者の「根の孤独」と互いに共鳴、共振することによって救われることがある。著者はこれ以後の各章において、「存在の哀しみ」とそこからの救済の様態を映画の中に読み取っていくことになるだろう。
『秒速5センチメートル』(新海誠監督・2007年)が読解される章においては、「風景による救い」が論じられる。新海誠のアニメーション映画における風景は、登場人物の「背景」ではなく、現実の風景の審美的な「再現」でもない。著者は、この作品に関する新海自身の、「人が美しい風景に含まれていることを救いとして描きたい」という言葉を引きながらこう述べる。
『秒速』において、叶うはずのない恋をしている女子高生も、孤独に都会をさまよう青年も、「風景=世界」の中に置かれることによって「風景=世界」から許されて在り、その「存在の哀しみ」も肯定されているに違いない、と。興味深いのは、風景によって救われる人間という新海作品のテーマは、これを180度回転させると、『秒速』を絶賛する石原慎太郎の(文学上の)テーマとぴたりと重なるという指摘である。著者は、石原の小説『星と舵』には、極小点としての「私」こそが「風景=世界」を存在させているという発想があるという。新海と石原の発想はそれぞれ真逆の方向を向いているわけだが、『秒速』第二話「コスモナウト」で貴樹という名の主人公が空想する異世界の夜明けの「風景=世界」は、貴樹自身が空想、創造したものであるという点で石原の発想と響き合っている、著者は鋭くそう指摘する。一見すると真逆に見えながら、深いところで「共鳴現象」を起こしている新海と石原との関係を、映画と文学との関係のアレゴリーとして読むとすれば、それはやはり「深読み」だろうか。
『ハウルの動く城』においては、自己の「存在の哀しみ」が他者のそれと出会い、互いに共鳴、共振することによって救いがもたらされた。こうした「出会い」、「邂逅」による救済=再生が中心的なテーマとなっているのが『ベルリン・天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース監督・1987年)である。著者は、この映画における天使ダミエルが人間になることを、ホフマンスタールにおける「前存在から存在へ」の移行に重ねている。天使=前存在には体験の直接性が欠けており、他者と出会い共振することは不可能であるのに対し、人間=存在の世界は出会いの可能性に満ちている。人間となったダミエルは、ものの色彩や香りや手触りと「出会い」、やはり「根の哀しみ」を抱えた女性マリオンと「出会う」ことによって二人とも救済され、再生の物語(メルヒェン)を生きるのである。天使が主人公であるからといって、この救済に宗教的な含みはない。続く章で『シックス・センス』(M・ナイト・シャマラン監督・1999年)を論じる際に著者が強調するのも、こうした救済の非宗教性である。さらに、この映画における救済の形式には西洋的ではない特質があると著者は述べ、世阿弥元清が考案した夢幻能の形式を参照することによって、その「異教的」特質を明らかにしていく。たとえば『井筒』では、旅の僧(ワキ)が、夢の中で在原業平の女の霊(シテ)の語りを聴く。霊は、旅の僧に語りを聴かれることによって、仮初めではあっても救われ「成仏」するのだが、著者によれば、旅の僧の側も、霊の語りの聴き手となり霊を救ったことによって、逆に救われているのである。『シックス・センス』において、亡霊を見、その充たされない思いを受けとめる能力を持つコール少年は、夢幻能における旅の僧と同じ役割を果たしている。自らが死んで亡霊となっていることを知らないセラピストのマルコムは、コールを救うはずの立場にありながら、映画の結末でコールに妻への思いを語ることで救われる。他方コールも、マルコムを含む亡霊たちの聴き手である自分を受け入れることで、逆に救われることになる。著者は、「この〈救済〉の形は、言わば相互的であり、人間(じんかん)においてなされ、超越的存在の介入を必要としない」(261, 強調は著者による)と述べている。一神教におけるような神(超越的存在)を必要としない相互的な救済の物語。この映画の結末で得られる深いカタルシスの感覚は、観客が「旅の僧」のような役割を果たして救われていることを示すものだろう。『シックス・センス』が私たちに与えるそうした感覚は、「癒し」ではなく、観客に対する「励まし」であると著者は言う。何もできなくても、「ただそこに居て、見て、聴いてやる」だけで、「それが他者(ひと)をも救い自身(われ)をも救うだろう」(271-2)という著者の言葉それ自体、本書の読者に対する「励まし」である。
以上の拙文が示唆しているように、異なったものが境を接する「界面」で生じる出来事に著者の関心は集中している。言葉と言葉ならざる「もの」、自己と他者、天使と人間、そして映画と文学といった二つの世界の「界面」での出来事である。「出会い、邂逅」、「共鳴、共振」といった語句が多用されているのもそのためだろう。映画と文学との「界面」について言えば、著者の言う「映画は文学である」という命題は、「文学は映画である」という命題と「相互的な」関係に置かれるべきである。文学を構成する言葉は、たとえそれが助詞や接続詞であろうと感覚的イメージを喚起しうるからであり、また、たとえば小説のポリフォニックな言葉の他者性は、「切り返し」という映画の技法を参照することによってはじめて(アナクロニックに)明らかにされるからである(山城むつみ『ドストエフスキー』第5章を参照)。「映画は文学である」という命題と「文学は映画である」という命題から成る平行な二直線は、非ユークリッド幾何学的な「界面」のいたるところで交わっているのだ。
最後に特筆しておきたいことは、著者とその教え子たちとの「界面」における出来事である。ところどころで引用される教え子たちのレポートの一節は、本書に新芽のような瑞々しさを加えている。著者とその教え子たちとの「出会い」と「共振」という出来事が、「存在の哀しみ」からの「救い」に朗らかな階調を与えている。これはとても貴重なことだ。
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